北近畿鉄道物語


伝説 先史 縄文 弥生 出雲 銅鐸 日槍 古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 室町 戦国 近世 近代 現代 地方分権鉄道写真サイトマップ

鉄道露草色(つゆくさいろ)#38a1db 最初のページ戻る次へ

北近畿鉄道年表

山陰本線関係年表

1889年(明治22年)7月1日官営鉄道現在の東海道本線にあたる、新橋駅〜神戸駅間が全通。
 〃 5月30日山陰鉄道兵庫県小西壮二郎外29名の発起で舞鶴より松江に達する226哩余の敷設計画をもって山陰鉄道株式会社設立出願するが、鉄道局長井上勝により却下される。
1892(明治25)年播但線山陰・山陽縦貫鉄道具申書
 〃 6月21日山陰線鉄道敷設法。山陰線が舞鶴から豊岡に通じることが決定される(京都府下舞鶴ヨリ兵庫県下豊岡、鳥取県下鳥取、島根県下松江、浜田ヲ経テ山口県下山口近傍ニ至ル鉄道)。山陰線を宮津に誘致する目的で宮津商港鉄道期成同盟会が結成される。
1893(明治26)年2月〜1895(明治28)年2月山陰線山陰線路線調査団が調査。
1893(明治26)年9月22日山陰線山陰縦貫鉄道期成同盟会が結成。
1893年(明治26年)京都鉄道京都鉄道設立。
1894(明治27)年11月山陰線兵庫県城崎・気多・美含・七美・二方5郡と鳥取県岩井・邑美2郡が一期昇格及び氷ノ山越えルート排斥を請願(鉄道敷設法山陰線ニ関スル請願)
1895年(明治28年)京都鉄道京都駅から綾部を経て、舞鶴に至る鉄道免許を受ける。
1895(明治28)年1月3日山陰線気多郡域は出石・日高・三方・西気・七美郡・ニ方郡経由の氷ノ山越え路線を請願する(鉄道布置海面ヲ距ル程度公布ノ申請) 。
 〃 5月山陰線気多郡域は出石・日高・三方・西気・七美郡・ニ方郡経由の路線の軍事的重要性を説いて第4師団にも陳情する(陳情書)
1895年(明治28年)4月17日播但鉄道長谷(はせ)〜生野間開業(生野駅開業)。
1896(明治29)年宮津線丹後鉄道株式会社が設立。
1896(明治29)年京都鉄道京都を基点として着工
1896(明治29)年2月出石鉄道 山陰鉄道縦貫線中豊岡線ヲ取ルベキ意見書(その1)(その2)が出石町有志総代から出る。
1897年(明治30年)2月15日京都鉄道現在の山陰本線の前身にあたる路線の一部を建設、運営した。社長は田中源太郎。 二条〜嵯峨間(3M65C≒6.14km)が開業。二条駅、嵯峨駅(現在の嵯峨嵐山駅)が開業。
 〃 4月27日京都鉄道大宮〜二条間(2M4C≒3.30km)が延伸開業。大宮駅、丹波口駅開業。
 〃 11月16日京都鉄道京都〜大宮間(38C≒0.76km)が延伸開業。官設鉄道(国鉄)京都駅に乗り入れ。
1899年(明治32年)8月15日京都鉄道京都〜園部間が開通。
  出石・日高で個別に鉄道敷設の行動が起る。
1901年(明治34年)8月29日播但鉄道生野〜新井間開業(新井駅開業)
1903(明治36)年6月山陰線「山陰及び山陽連絡線」が姫路〜和田山〜鳥取として施工されることが議会通過し本決まりとなる。
1903(明治36)年6月〜10月山陰線鉄道作業局米子出張所が山陰線のルートを調査。
  • 氷ノ山線 八鹿〜関宮〜氷ノ山〜若桜〜郡家
  • 若桜線 養父市場〜大屋市場〜戸倉嶺〜若桜〜郡家
  • 国道線 八鹿〜関宮〜村岡〜湯村〜岩井
  • 江野線 八鹿〜豊岡〜城崎〜香住〜浜坂
  • 和鳥線 八鹿〜豊岡〜城崎〜香住〜浜坂〜鳥取 のち、工事の難易度、鉄道利用の経済性から和鳥線が最も優れているとの結論の報告書をまとめる
  • 1906年(明治39年)4月1日山陽鉄道播但鉄道を吸収。新井〜和田山間開業(竹田駅・和田山駅開業、播但線全線開通)
    1904年(明治37年)山陰線福知山〜綾部間は阪鶴鉄道の路線を延伸する形で舞鶴までを結ぶ阪鶴線の一部として開業
    1904年(明治37年)11月3日山陰線福知山〜綾部〜新舞鶴(現在の東舞鶴駅)間が開業(福知山 〜綾部間は7.7M≒12.39km)。阪鶴鉄道に貸与。現在の山陰本線にあたる区間に綾部駅、石原駅、福知山駅開業。
    1906(明治39)年1月山陰線山陰線に関する法律案が国会を通過。この後、用地買収が始まる。
     〃 3月31日 鉄道国有法公布。
     〃 4月 山陰東線山陰線は、福知山〜和田山〜豊岡のコースに決定されるが、宮津、峰山を中心として丹後鉄道急設期成同盟会を組織し、猛烈な誘致運動を行う。和田山・香住間着工 。
    1907年(明治40年)8月1日 京都鉄道・阪鶴鉄道が国有化
    1908(明治41)年7月1日山陽鉄道和田山〜八鹿間開業
    1909(明治42)年 藤本俊郎、城崎郡会議員になる
     〃 1月山陰東線江原工区竣工
     〃 7月10日山陰東線 八鹿〜豊岡間開通
    1909(明治42)年9月5日山陰東線豊岡〜城崎開通
    1909年(明治42年)7月10日山陰東線八鹿〜豊岡間(10.7M≒17.22km)が延伸開業。江原駅、豊岡駅が開業。
     〃 9月5日山陰東線豊岡〜城崎間(6.0M≒9.66km)が延伸開業。城崎駅(現在の城崎温泉駅)が開業。
     〃 10月12日山陰本線線路名称制定、鳥取〜米子〜松江間を山陰本線とする。神崎(現在の尼崎駅)〜福知山〜綾部〜新舞鶴間などを阪鶴線とする。
    1910年(明治43年)6月10日山陰本線岩美〜鳥取間(11.4M≒18.35km)、宍道〜荘原間(2.5M≒4.02km)が延伸開業。
    園部〜綾部間開通。京都〜綾部間が京都線としてに開通。
    10月12日播但線線路名称制定、飾磨〜姫路〜和田山〜城崎間を播但線とする。
    1911(明治44)年宮津線丹後鉄道敷設にあたり、
  • 舞鶴・久美浜・港・城崎経由
  • 舞鶴・久美浜・豊岡経由
  • 舞鶴・岩滝・出石・豊岡経由 の3案が再発し測量を行うが、結局2案が実現する。
  • 1911(明治44)年4月12日津居山線山陰本線城崎駅から津居山港への支線敷設について鉄道院総裁へ意見書を提出して却下される。
    1912年(明治45年)3月1日山陰本線餘部橋りょう(日本一の高さ)、桃観トンネル(山陰線最長)の完成により、香住〜浜坂間(11.1M≒17.86km)が延伸開業し京都〜出雲今市間が全通。京都線全線、阪鶴線綾部〜福知山間、播但線福知山〜香住間を山陰本線に編入。鎧駅、久谷駅が開業。
    1912(明治45)年3月2日山陰本線玄武洞仮停車場開設
    1912(大正元)年11月 藤本俊郎、第13代日高村長となる。1922(大正11)年1月まで在職。
     1916(大正5)年9月10日但馬軽便鉄道神戸の鈴木商店が(江原〜三方村(現豊岡市日高町)庄境)の鉄道敷設免許申請。
     〃 年12月18日但馬軽便鉄道鈴木商店に鉄道敷設免許交付。<
    1917(大正6)年11月28日但馬軽便鉄道工事施工認可申請期限延期が許可される。
    1918(大正7)年8月但馬軽便鉄道鈴木商店、米騒動で焼討ちに遭う。
    1918年  日高町長藤本俊郎、山田(野田川)から出石、日高を経て、鳥取(若桜)に抜ける構想を持っていたようで、日高から西向きには、鈴木商店(現在の日双)という当時の超巨大商社に働きかけ鉱山鉄道として敷設、出石〜日高間は会社を設立して敷設という青写真を持っていたようである。
    1918(大正7)年8月9日但馬軽便鉄道工事施工認可申請 。
    1919(大正8)年5月19日但馬軽便鉄道工事施工認可されるが、鈴木商店は鉄道建設を断念。(鈴木商店の全盛期は1919〜1920年ごろといわれる。)
    1919(大正8)年5月21日但馬軽便鉄道鈴木商店が鉄道建設権を日高町日置 藤本俊郎に譲渡。
    同年6月27日、出石鉄道に敷設免許が下りる。
    同年8月9日但馬軽便鉄道 但馬軽便鉄道株式会社設立登記
     〃 11月15日但馬軽便鉄道工事着手書提出。
    1918年(大正7年)4月21日山陰本線玄武洞仮停車場を駅に格上げし玄武洞駅開業。
    1920(大正9)年2月宮津線港村は工事費の節約を理由に宮津線が久美浜・港を経由して城崎で山陰本線に接合するルートを請願 。
     〃 11月但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請。
    1921(大正10)年2月22日山豊線鎌田三郎兵衛、松山常次郎、長田桃蔵連名で「山田、豊岡間鉄道速成ニ関スル建議案(山豊線)」を提出
     〃 3月23日山豊線「山田、豊岡間鉄道速成ニ関スル建議案(山豊線)」衆議院鉄道委員会に附議され、25日委員会可決、26日本会議で可決されるが貴族院で握りつぶされ不成立となる(藤本俊郎らの反対工作か?)。
    1921(大正10)年10月23日宮津線舞鶴より着工。
    1922(大正11)年1月但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請(3回目)。
     〃 1月 藤本俊郎、日高村長を辞す。
    1922(大正11)年2月3日出石鉄道停留場・道路設置並びに府県道占用許可申請(位置不明)
    1922(大正11)年4月11日山豊線改正鉄道敷設法公布。別表に「京都府山田ヨリ兵庫県出石ヲ経テ豊岡ニ至ル鉄道」の項目がある。この項目は、1988年改正鉄道敷設法が廃止されるまで生き残った。
    1923(大正12)年出石鉄道工事中断(資金不足)
     〃 9月 藤本俊郎、兵庫県会議員に当選。政友会に所属し活躍
    1924(大正13)年3月26日但馬軽便鉄道工事竣工期限延期申請不許可
     〃 4月12日宮津線宮津線 舞鶴(現在の西舞鶴)〜宮津間が開業。
    1925年(大正14年)7月31日宮津線宮津〜丹後山田間(6.8M≒10.94km)が延伸開業。天橋立駅、岩滝口駅、丹後山田駅(現在の野田川駅)が開業。
    11月3日宮津線丹後山田〜峰山間(7.8M≒12.55km)が延伸開業。口大野駅(後の丹後大宮駅)、峰山駅が開業。
     〃 5月23日 但馬地震。城崎・豊岡を中心に死者428人。
     〃 7月31日宮津線峰山線 宮津〜丹後山田(現在の野田川)間が開業。
    1925(大正14)年10月8日出石鉄道土地収用法による事業認定公告
     〃 5月23日 但馬地震。城崎・豊岡を中心に死者428人。
     〃 11月3日宮津線峰山線 丹後山田〜峰山間が開業。
    1926(大正15)年1月21日但馬軽便鉄道鉄道敷設免許失効。免許状返納命令が出るが、免許状を紛失しており紛失届を提出。
     〃 7月10日但馬軽便鉄道藤本俊郎、県会議員辞職
     〃 9月11日 藤本俊郎、東京において死去。享年70歳
    1926年(昭和元年)12月5日加悦鉄道丹後山田(現在の野田川)〜加悦間が開業。
    1926年(昭和元年)12月25日宮津線峰山〜網野間(4.5M≒7.24km)が延伸開業。網野駅が開業。
    1929年(昭和4年)12月15日宮津線峰豊線(みねとよせん)豊岡〜久美浜間(7.4M≒11.91km)が開業。但馬三江駅、久美浜駅が開業。
    1930年(昭和5年)4月1日宮津線営業距離の単位をマイルからメートルに変更(宮津線 34.6M→55.7km、峰豊線 7.4M→11.9km)。
    1931年(昭和6年)5月25日宮津線宮津線 網野〜丹後木津間 (5.6km) が延伸開業。丹後木津駅(現在の木津温泉駅)が開業。
    1932年(昭和7年)8月10日宮津線丹後木津〜久美浜間 (10.8km) が開業し全通。新規開業区間と峰豊線を宮津線に編入。丹後神野駅が開業。
     〃 4月1日宮津線 舞鶴駅を西舞鶴駅に改称。
    1929(昭和4)年7月21日出石鉄道全線開通。ガソリンカー2両、貨車6両。開通祝賀会は出石城跡稲荷台で3日間行われた。
    1929(昭和4)年12月15日宮津線峰豊線 豊岡〜久美浜間が開業。
    1932(昭和7)年8月10日宮津線全線開通
    1933年(昭和8年)2月24日山陰本線須佐〜宇田郷間 (8.8km) が延伸開業し京都〜幡生間が全通。美禰線 宇田郷〜正明市〜阿川間、正明市〜仙崎間と小串線全線を編入し京都〜幡生間673.8km、正明市〜仙崎間2.2km、駅数:160駅が山陰本線となる。
    1931(昭和6)年5月25日宮津線峰豊線 網野〜丹後木津(現在の木津温泉)間が開業。
    1931年(昭和6年)7月18日山陰本線諸寄仮停車場開業。
    1932(昭和7)年8月10日宮津線全線開通
    1938(昭和13)年出石鉄道江原自動車を買収し、自動車運輸営業権を得る。
    1934(昭和9)年9月21日出石鉄道室戸台風(死者全国で2,702人)のため鶴岡橋梁流失
    1936(昭和11)年6月25日出石鉄道全線復旧開通。鶴岡仮駅廃止。
    1938年(昭和13年)6月1日山陰本線諸寄仮停車場を駅に格上げし諸寄駅開業。
    1944(昭和19)年1月出石鉄道営業休止
    1948(昭和23)年10月13日山陰本線国府駅新設
    1949年(昭和24)6月1日山陰本線政府の直営事業として運輸省鉄道総局が行っていた鉄道事業を行政機構から分離し、国有鉄道を独立採算制で運営することを目的に1949年6月1日に日本国有鉄道(国鉄)発足
    1952(昭和27)年3月10日出石鉄道自動車運輸営業権を全但交通株式会社に譲渡し、事業会社としての終止符を打つ。
    1957年(昭和32年)6月22日宮津線丹後神崎駅が開業。
    1962年(昭和37年)3月1日宮津線甲山駅が開業。
    1963年(昭和38年)5月25日宮津線口大野駅を丹後大宮駅に改称。
    1968年(昭和43年)9月18日山陰本線綾部〜石原間が複線化
     〃 9月23日山陰本線八鹿〜江原間に宿南信号場開設
    1969年(昭和44年)3月1日山陰本線石原〜福知山間が複線化
    1972年(昭和47年)10月1日宮津線山陰本線綾部(舞鶴線経由)・西舞鶴〜網野間で京都府内の国鉄線で最後の蒸気機関車運転、西舞鶴機関区(現・北近畿タンゴ鉄道西舞鶴運転区)所属の9600形蒸気機関車を使用。
     〃 11月1日中舞鶴線中舞鶴線廃止
    1976年(昭和51年)3月16日山陰本線京都〜二条間が高架化。丹波口駅移転
    1985年(昭和60年)3月14日宮津線貨物営業廃止。
    1986年(昭和61年)10月29日山陰本線福知山〜城崎間が電化(運行開始は11月1日付)
    1987年(昭和62年)2月3日宮津線国鉄宮津線廃止承認(特定地方交通線第3次最終指定廃止対象)
    1987年(昭和62年)4月1日山陰本線国鉄分割民営化により西日本旅客鉄道(JR西日本)が承継。京都〜園部間…JR西日本京都支社
    園部〜和田山間(園部駅構内除く)…福知山鉄道管理局からJR西日本福知山支社
    和田山〜居組間(和田山駅構内除く)…JR西日本福知山支社豊岡鉄道部
    居組〜伯耆大山間(両端の駅構内除く)…米子鉄道管理局からJR西日本米子支社鳥取鉄道部
    日本貨物鉄道が丹波口〜二条間、湖山〜出雲市間、江津〜益田間の第二種鉄道事業者となる。二条〜湖山間の貨物営業廃止。
    1988年(昭和63年)4月7日 宮津線第三セクター鉄道への転換を決定。
     〃 12月28日山陰本線鎧〜餘部間の余部鉄橋から回送中の客車が転落。
    1990年(平成2年)3月10日山陰本線京都〜園部間が電化に伴い新線開通。
    1990年(平成2年)4月1日宮津線JR西日本宮津線 (84.0km) 廃止、北近畿タンゴ鉄道宮津線 (83.6km) 開業。丹後山田駅を野田川駅に、丹後木津駅を木津温泉駅に改称。
     〃 6月1日山陰本線豊岡〜鳥取間、出雲市〜益田間でワンマン運転開始。
    1991年(平成3年)4月27日山陰本線嵯峨〜馬堀間の旧線が嵯峨野観光鉄道嵯峨野観光線として開業(西日本旅客鉄道が第一種、嵯峨野観光鉄道が第二種鉄道事業者)。
    1996年(平成8年)3月16日宮津線宮津〜天橋立間が電化。西日本旅客鉄道の電車特急「はしだて」・「文殊」が運転開始。
    1996年(平成8年)3月16日山陰本線園部〜綾部間が電化。二条〜花園間が高架化。殿田駅を日吉駅に改称。鍼灸大学前駅開業。丹波口〜二条間の貨物列車設定廃止。
    2000年(平成12年)9月23日山陰本線二条〜花園間が複線化。円町駅開業。
    2001年(平成13年)3月3日山陰本線モハ113形+クモハ112形のユニットから2両編成9本が再改造された。福知山〜豊岡間2両でワンマン運転開始。
    2002年(平成14年)山陰本線これまで最長だったJR東日本東北本線のうち、盛岡〜八戸間が東北新幹線八戸開業に伴い、IGRいわて銀河鉄道・青い森鉄道に転換されて分断されたため、山陰本線が営業キロ日本最長の路線となった。ただし、支線部分を合算した場合は東海道本線の方が長い。
    2005年(平成17年)3月1日山陰本線城崎駅を城崎温泉駅に改称。
     〃 11月26日山陰本線福知山駅付近が高架化。
    2006年(平成18年)4月1日山陰本線日本貨物鉄道の山陰本線全線取り扱い廃止。
    2007年5月27日山陰本線余部橋りょう架け替え工事の起工式。2010年架替工事完了予定。
    2008年(平成20年)3月宮津線円山川橋梁架け替え工事開始。
    2008年(平成20年)8月11日山陰本線 「223系」車両を山陰、福知山線などに順次導入。ワンマン車両に改造し、普通電車として走る。同支社管内での新しい車両の導入は1987年のJR発足後初めて。


    鉄道露草色(つゆくさいろ)#38a1db 最初のページ戻る次へ

    Copyright(C)2002.4.29-2009 ketajin21 All Rights Reserved. E-mail
    inserted by FC2 system