北近畿鉄道物語


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3.かつての山陰本線の列車

  かつての山陰本線を走っていた列車をご紹介します。

出雲いなばまつかぜやくもあさしおエーデル但馬丹後白兎だいせん三瓶

夜行普通列車「山陰」


824列車(1978年) ウィキペディアよりお借りしています
 昭和50年3月 マルスシステム拡張に伴い、山陰本線全通より京都駅〜出雲市駅間を運行していた寝台車連結の夜行普通列車に「山陰」(さんいん)の名称が与えられる。10系寝台車(オハネフ12)+スハ43系座席車等の 旧型客車で運行していた、数少ない愛称付き普通列車。昭和61年11月廃止。
 小学生の頃、線路脇の田んぼで草野球をしていたら、近所の国鉄運転士をしていたおじさんが蒸気機関車(SL)から手を振ってくれた。それが楽しみだったし憧れだった。みんなそうだったと思うのである。東京オリンピックと大阪万博の間、そんな少年時代だった。当時は巨人大鵬卵焼き。「巨人の星」と「明日のジョー」をリアルタイムで観ていました。みんなかっこよかった!
 鉄道ファンになっていて中学生だったか忘れた。播但線のSL三十連記念運行を一人で乗車し、小さなカメラで撮影して録音した。

 高校時代(1977頃)、学校祭の打ち上げに同級生たちで香住の友人宅で一晩過ごした日だった。明日は休みだったのか、なぜだか抜け出して夜間列車「山陰」に同級生と2人で香住から乗車した。鉄道ファンだった私は不思議な長距離夜間列車があるのは知っていました。今から考えればれっきとしたキセル乗車(そんなことは十分知っていた…)。発端は一区間の切符でどこまで行って帰ってこれるかという無計画な冒険旅行だった。そして午前になりかけていた深夜に香住駅から乗り込んだ。
 各停の鈍行はガタンゴトンという単調なリズムを繰り返し、この車内には我々2人しか乗っていない。友人はすっかり寝込んでしまっていました。

 余部鉄橋を渡り、いくつものトンネルを過ぎ、県境を越えて鳥取県に入ったら、無人の停車駅を通過するたびにだんだんドキドキしてきた。ずいぶん長く感じたのを覚えている。どこまで行けるかと乗り込んだものの、鳥取駅を過ぎて不安と心細さがドンドン増してくるのだった。
 倉吉駅が長く感じた。友達を起こして相談した。午前2時頃だった。「もう限界ちゃうか?帰ろうか。」高校生にとって大した小遣いも持っていないし、もう限界だった。
 反対行きをホームで待って香住まで帰った。みんな寝静まっていました。

 山陰本線・山陽本線の門司駅〜福知山駅間には日本一の走行距離を有する普通列車が運行されていました。昭和50年代に、日本一の運行距離を有する普通列車(鈍行)として鉄道ファンに注目されるようになったのが、この824列車である。
 昭和30年代まで、国鉄においては特急・急行列車の本数が少なかった半面で、長距離の普通列車(夜行区間は後のこの「山陰」)が設定されていました。
 この列車は門司駅を朝5時半頃に発ち、福知山駅にはその日が終わる頃に到着するもので、途中駅で特急・急行の待避や荷物輸送のための長時間停車をしていたこともあって、所要時間は約18時間半にもなり、表定速度は30kmを若干上回る程度。また、客車はオハ35系・スハ43系・61系など手動扉の旧型のものが最後まで使用された。

 その旧型客車の旅愁と運転区間が相まって、「乗り鉄」とも通称された鉄道旅行派のファンなどから注目される存在となり、宮脇俊三・種村直樹といった紀行作家による乗車記も書かれたそうです。なお、上越新幹線開業に伴うダイヤ改正直前の1982年10月における、国鉄の長距離運行普通列車上位5位は以下のとおり。

1. 824列車「山陰」 門司駅〜福知山駅間運行 運転距離(営業キロ)595.1km
2. 831列車 豊岡駅〜門司駅間運行 同上535.2km
3. 726列車 浜田駅〜大阪駅間運行 同上500.8km
4. 530列車 西鹿児島駅〜門司港駅(日豊本線経由)間運行 同上476.9km
5. 921・924列車「はやたま」 亀山駅〜天王寺駅(紀勢本線経由)間運行 同上442.2km


ブルートレイン 出雲(いずも)


出雲のテールマーク(ウィキペディア)
  • 昭和3(1928)年12月25日、福知山線・山陰本線経由で、下り大阪駅発浜田駅行、上り米子駅発大阪駅行の昼行準急行列車(急行料金不要、現在で言う快速列車)を上下各1本が新設されました。山陰本線・福知山線にはそれまで普通列車のみで優等列車が存在せず、これが両線で初めての速達列車となりました。まだ愛称はありませんでした。

  • 京都駅の出雲(ウィキペディア)
  • 昭和10(1935)年3月15日、上記の準急を急行列車に格上げして再編成、上下列車とも出雲今市駅(現・出雲市駅)から大社線に直通し、大阪駅〜大社駅間運転としました。最速の上り列車は同区間を所要8時間20分で結び、和食堂車を連結しました。
  • 1943(昭和18)年2月、太平洋戦争の激化に伴い廃止となります。
  • 昭和22(1947)年6月、大阪駅〜大社駅間昼行準急列車として復活運行を開始。この時点でもまだ列車に愛称はありませんでした。
  • 昭和26(1951)年11月25日、大阪駅〜大社間駅準急が急行に格上げされ、このとき初めて「いずも」と列車愛称が与えられました。愛称は、島根県東部の旧国名である「出雲国」に由来するもの。編成の一部が大阪から東京駅〜宇野駅間急行「せと」に併結されて東京駅まで直通したため、東京駅〜大社駅間列車となります。
  • 昭和29(1954)年、大阪駅から浜田駅発着の編成を連結開始。出雲市〜浜田間は快速列車として運行されます。

  • 昭和31(1956)年11月、列車名を「いずも」から漢字の「出雲」に改称。また、急行「せと」との併結を取りやめ、東京駅〜大社駅間を単独運転開始。
  • 昭和33(1958)年10月から、東京〜博多間特急「あさかぜ」が投入され、運行を開始した。1986年(昭和61年)11月に定期運用を終え、1998年(平成10年)までに全車廃車となった。
  • 昭和36(1961)年3月1日、浜田編成も浜田駅までの全区間を急行列車となります。
     同年10月1日、大阪駅経由(福知山線経由)を取りやめ、京都〜福知山駅間を山陰本線経由に変更。東海道本線内では下りは名古屋駅まで南紀観光団体専用列車を、上り列車は京都駅から大阪駅発の寝台急行列車「金星」を併結することとなります。
  • 昭和39(1964)年10月1日、東海道新幹線開業に伴うダイヤ改正に伴い、東海道本線内も「出雲」単独運転とする。この際、編成のほとんどを寝台車・座席指定席で組成されることとなります。

  • 昭和47(1972)年3月15日、山陽新幹線岡山駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、急行「出雲」を特急に格上げし、20系客車による寝台特急「出雲」運行を開始。運転区間は東京駅-浜田駅間。 3月15日に山陰本線の東京〜(京都)〜浜田間(7〜11号車は東京〜出雲市)の特急「出雲」11両に格上げ(20系ブルートレイン化)。東京〜京都はEF65形、京都〜浜田はDD54形で牽引していたが、数年後DD54形が使用中止となった為、DD51形に変更。

     国鉄20系客車は、国鉄が昭和33(1958)年に開発した寝台特急列車用客車で、日本で初めて同一系列・同一意匠の車両による「固定編成」を組むことを前提に設計された客車。冷房装置や空気ばね台車の装備などで居住性を大きく改善した画期的な車両。青一色に統一された外観はデザイン的にも優れ、以後の客車寝台特急も含めて「ブルートレイン」と呼ばれる起源となりました。

  • 昭和50(1975)年3月10日、山陽新幹線博多駅乗り入れに伴うダイヤ改正により、24系客車化。系統立替えにより、寝台特急「いなば」運行を開始。
  • 昭和51(1976)年10月、「出雲」24系25形化。「はやぶさ」、「富士」と同時で、東京発着の定期寝台特急初の2段B寝台投入。1人用個室A寝台(1986年より「シングルデラックス」と命名される)も同時に連結。当時の「出雲」は国鉄有数の寝台券入手が困難な人気列車として知られており、定員減でそれが更に強調される結果となった。
  • 昭和53(1978)年10月2日から上下4本(3・2号は「紀伊」と連結)に。
  • 昭和59(1984)年2月1日、「紀伊」廃止により単独運転。
  • 昭和62(1987)年4月1日〜国鉄分割民営化に伴い、24系客車による「出雲1・4号」を東日本旅客鉄道(JR東日本)が、14系客車による「出雲3・2号」を西日本旅客鉄道(JR西日本)が管轄する共同運行列車となる。
  • 平成2(1991)年、「出雲3・2号」にA寝台個室・B寝台個室を連結。A寝台は「あさかぜ3・2号」・「瀬戸」と同じ構成。B寝台は「トワイライトエクスプレス」と同じ構成。「出雲1・4号」の食堂車が営業を休止。
  • 平成4(1993)年9月、山陰本線園部駅-福知山駅間電化・高速化工事に伴い、下り「出雲1号」を伯備線経由に変更。上り「出雲4号」は山陰本線経由で運行。
  • 平成6(1995)年12月、 「出雲1号」を元の山陰本線経由に変更。

  • 1998年7月10日〜285系電車(サンライズエクスプレス)導入に伴い、JR東海JR西日本管轄の1往復(3・2号)をサンライズエクスプレスによる電車化を行い「サンライズ出雲」として運行開始。また、東京駅〜岡山駅間は、「サンライズ瀬戸」を連結、伯備線経由に変更して、下りは東京発22時台に繰り下げた。
     JR東日本管轄の車両で運行する山陰本線経由の「出雲」1往復(1・4号)は、東京駅〜出雲市駅間を山陰本線経由「ブルートレイン寝台特急「出雲」として運行継続。

  • 平成18(2006)年3月18日、車両の老朽化や利用客の減少などの理由により、ついに拙者は一度ブルートレインに乗りたいと思いながらも乗る機会もなく、ふと気が付くと「出雲」が78年の歴史に幕を終えて廃止となっていた。

     2006年3月現在、「サンライズ出雲」(JR東海・JR西日本)は首都圏と伯備線を介して岡山県・鳥取県西部・島根県東部を結ぶ役割を担っています。東京〜岡山間は「サンライズ瀬戸」と併結して運転されています。

  • 廃止時点の「出雲」運行状況

      使用車両
    • 24系25形客車(尾久車両センター所属・田町車両センター常駐)を使用。
    • 電源車を含む9両編成が基本であるが、多客期は東京駅〜米子駅間に3両を増結した。
    • 個室A寝台「シングルデラックス」・B寝台・「フリースペース」で組成されていました。その内、「フリースペース」については営業休止となった食堂車を利用していました。
      牽引機関車
    • 東京〜京都間:EF65形1000番台(田端運転所所属)が牽引。
    • 京都〜米子〜出雲市間:DD51形(後藤総合車両所所属)が牽引。
    • 豊岡駅で運転士交代。
    • 鳥取駅で運転士交代。
     
    列車の編成
    進行方向←出雲市駅東京駅→
    号車 1234567891011
    座席種別 A1 B B B B B B B B B
      座席種別凡例
    • A1=1人用個室A寝台「シングルデラックス」
    • B=開放式B寝台
    • フ=フリースペース
    • 電=電源車
      ※9〜11号車は多客期のみ東京駅〜米子駅間で連結。

    いなば

     昭和39(1964)年10月1日、鳥取〜広島(芸備線・木次線・山陰本線経由)に運転開始、昭和41(1966)年3月5日に急行化、昭和43(1968)年10月1日、急行ちどりに吸収。
    昭和47(1972)年3月15日に大阪〜鳥取(福知山線・山陰本線経由)で準急・急行福知山〜鳥取間は「白兎」に併結し山陰本線で運転。
    同年10月2日から昭和51(1975)年3月9日まで、下り急行「いなば・白兎・丹波」、上り急行「いなば・白兎」として連結運転されました。
     昭和50(1975)年3月10日から昭和53(1978)年10月1日まで、急行いなばが寝台特急(ブルートレイン)に格上げされ、「出雲」の増発・補助列車として東京〜米子間を運行。東京〜紀伊勝浦間の「紀伊」との連結(名古屋駅切り離し)で運行。現行の「サンライズ出雲」の前身にあたります。
     昭和53(1978)年10月2日以降は出雲市に延長と共に、「出雲3・2号」に愛称を統合し消滅。
     平成8(1996)年3月16日から平成9(1997)年11月28日まで鳥取駅〜米子駅間の特急列車として1往復運行された。
     平成9(1997)年11月29日より岡山駅〜鳥取駅間を運行する特急列車。それ以前は、急行「砂丘」が津山線・因美線経由で5往復運行されていました。智頭急行智頭線開通により約30分短縮される。
    平成15(2003)年10月1日よりキハ187系に車種を変更し、名称を「スーパーいなば」と変更。同時に5往復へ増発。最高速度を従来の120km/hから130km/hに向上する。  現在、首都圏と鳥取県東部を結ぶ役割を担う列車として上郡駅で「スーパーいなば91・92号(サンライズリレー号)」と接続が計られています。

    だいせん

     「だいせん」の名称は鳥取県にある伯耆大山(ほうきだいせん)に因んで、昭和28年(1953)3月岡山駅〜松江駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線経由で運行された快速列車の名称として誕生。
    1958年(昭和33年)10月、「だいせん」の名称を京都駅〜大社駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線・大社線経由で運行する急行列車に変更。但し、京都駅〜岡山駅間は広島駅発着の急行列車「宮島」と併結運転となっていました。
    1962年(昭和37年)10月 「だいせん」、それまでの「さつま」との併結運転を解消し、客車列車から気動車列車に変更。
    1968年(昭和43年)10月、大規模ダイヤ改正により、それまでの「だいせん」は列車名を「おき」に変更するとともに、大阪駅発着で福知山線経由の急行列車であった「山陰観光」、大阪駅〜益田駅・大社駅間の「三瓶」、大阪駅〜松江駅間の「白兎」、大阪駅〜出雲市駅・大社駅間の夜行急行「おき」の名称を「だいせん」に統合。昼行夜行を含め大阪駅と山陰地方を福知山線経由で1日4往復する急行列車となります。大阪駅〜米子駅間を福知山線・山陰本線経由で運行した夜行急行列車。平成16年)10月に廃止された。
    1958(昭和33年)10月、「だいせん」の名称を京都駅〜大社駅間を山陽本線・伯備線・山陰本線・大社線経由で運行する急行列車に変更。但し、京都駅〜岡山駅間は広島駅発着の急行列車「宮島」と併結運転となっていました。
    1968(昭和43年)10月、「ヨン・サン・トオ」と呼ばれる事になる大規模ダイヤ改正に伴い、大阪駅発着の福知山線経由の急行列車の名称に「だいせん」の名称を与える。
    1978(昭和53年10月、「いなば」から更に「いでゆ」と改称されていた大阪駅〜鳥取駅間の急行を「だいせん」に改称(復帰)し2号・3号となる。
    昭和61年11月、福知山線宝塚駅〜山陰本線城崎駅間の電化に伴い特急「まつかぜ」、急行「丹波」と共に「だいせん」の昼行列車をエル特急「北近畿」に統合。これにより昼行は廃止され、「だいせん」は夜行急行列車のみの運行となる。
    平成11年10月2日、「だいせん」エーデル用気動車による運行となり、寝台車は廃止。同時に米子駅発着となる。
    2004年(平成16年)10月16日、唯一残っていた夜行を廃止し、急行列車「だいせん」の歴史に終止符。以下の区間に代替となる列車が運行される以外は廃止となった。
  • 新大阪駅〜福知山駅間:エル特急「北近畿」下り1本
  • 上りは、京都駅〜福知山駅間(山陰本線経由)に特急「たんば」を1本増発。
  • 福知山駅〜鳥取駅間については廃止。
  • 鳥取駅〜米子駅間:快速「とっとりライナー」1往復

  • 三瓶(さんべ)

    昭和36年10月1日に大阪〜浜田・大社間(福知山線・山陰本線)に夜行急行として運転開始。昭和40年10月1日に平常運転。昭和43年10月1日から米子〜小倉・熊本として変更。昭和44年10月1日から、下り2号、上り1号は鳥取発着に。平成9年11月29日廃止。

    まつかぜ

     昭和36(1961)年10月1日、京都駅〜大阪駅〜松江駅間を東海道本線、福知山線経由で結ぶ山陰本線初の特急として誕生。1等車を含みキロ80を1両含むキハ82、80の6両編成により運転開始。山陰本線最速の花形特急として、昭和39(1964)年3月20日には運転区間を松江駅から博多駅まで延長し、最盛期には食堂車を含む13両編成で運行されていました。
    昭和53年10月2日から列車番号が上下はそれぞれ別号扱いとなり、昭和57年7月1日から新幹線との連絡を考慮した「L特急」指定で新大阪←博多(4号)9両になります。1986年11月に福知山線・山陰本線の大阪駅〜城崎駅間の電化完成に伴い誕生したエル特急「北近畿」に統合されることで運行を終了しました。

     現在の「スーパーまつかぜ」(キハ187系 鳥取〜米子・益田)は、2003年10月に「スーパーくにびき」として運行されていた列車を改称することで、かつての「まつかぜ」の名称を復活させたものです。

    やくも

     島根県東部の旧国名出雲にかかる枕詞「八雲立つ」(やくもたつ)にちなむもの。その為、島根県東部ないしはそこに掛かる交通の要衝となった鳥取県米子駅を発着する列車。
    1959年(昭和34年)9月、米子駅〜博多駅間を山陰本線・山陽本線・鹿児島本線経由で運行する準急列車が設定され、同列車に「やくも」と命名。
    1965年(昭和40年)11月1日、「やくも」は、新設された新大阪駅〜浜田駅間を福知山線・山陰本線経由で運行する特急列車が運転開始。
    1972年(昭和47年)3月15日、山陽新幹線岡山駅乗り入れに伴い、現在の運転経路の(岡山〜出雲市)の新幹線連絡特急に変更。特急おきの新大阪〜岡山間廃止の上、特急やくもに改称、岡山〜出雲市・益田を山陽本線・伯備線経由で運行。
    昭和57年7月1日に電車化。(以降は割愛)

    白 兎(はくと)

     名称は「因幡の白兎(うさぎ)」の伝説から。1956年(昭和31年)11月19日、京都〜松江間に準急白兎(ディーゼル機関車客車牽引、1等車あり)が誕生します。

    1958年(昭和33年)10月1日から京都〜米子間に、1961年(昭和36年)10月1日急行に格上げされ、再び京都・大阪〜松江間になり、ディーゼル気動車キハ58、28の8両編成に、福知山駅で大阪からの3両を連結し2両は米子止まりのため福知山と米子でそれぞれ連結切り離し作業をおこないます。
    1963年(昭和38年)10月1日から10両に増設、1〜3号車は京都〜鳥取に。
    1965根(昭和40年)10月1日、1両増設し12両に。1968年(昭和43年)10月1日から京都〜松江・米子・鳥取の10両編成に。
    1970年(昭和45年)10月1日には出雲市まで延長。
    1972年(昭和47年)10月2日から急行「いなば・白兎」京都・大阪〜鳥取・出雲市13両となり、1973年(昭和48年)10月1日から倉吉〜米子間快速、米子〜出雲市間は普通列車に。
    1975年(昭和50年)3月10日から「いなば」を「いでゆ」に改称、急行「白兎・いでゆ」となり、下りは京都・大阪〜出雲市・鳥取、上りは京都・大阪〜大社・鳥取に。
    1979年(昭和54年)2月4日出雲市まで。1980年(昭和55年)10月1日再び大社までに。
    1985年(昭和60年)3月14日に、京都〜米子(鳥取〜米子間普通列車)7両、同年11月1日に急行白兎は廃止。
    1994年(平成6年)12月3日、新大阪〜倉吉に特急「はくと」(キハ181、180)5両として姫路経由で復活し、1997年(平成9年)11月29日に廃止。

     1994年(平成6年)12月3日、智頭急行開通と共に特急「スーパーはくと」(智頭急行保有車両のHOT7000系気動車で運行)3往復・「はくと」(削減された「はまかぜ」から捻出されたJR西日本保有車両のキハ181系気動車で運行)新大阪駅〜倉吉駅間1往復として運行開始。京都駅〜鳥取駅・倉吉駅間を東海道本線・山陽本線・智頭急行智頭線・因美線・山陰本線経由で運行。
     1995年(平成7年)7月1日、毎日運転の臨時列車扱いであるものの京都駅に乗り入れ。「スーパーはくと」は京都駅〜鳥取駅間2往復、京都駅〜倉吉駅間1往復、「はくと」は新大阪駅〜倉吉駅間1往復。
     1996年(平成8)年3月16日、「はくと」・「スーパーはくと」正式に京都駅発着となる。同時に特急「あさしお」を廃止し、捻出されたキハ181系気動車を「はくと」の増発に転用した。「スーパーはくと」は京都駅〜鳥取駅間2往復、京都駅〜倉吉駅間1往復、「はくと」は京都駅〜鳥取駅間下り2本・上り1本、京都駅〜倉吉駅間下り1本・上り2本。うち、京都駅〜鳥取駅間の「はくと」1往復は毎日運転の臨時列車扱い。なお、この年のみ一部の「はくと」が米子駅まで延長運転されている。延長区間の倉吉〜米子間は無停車であった。「あさしお」廃止以後米子〜京都間を通しで運転された特急はこれ以降存在しなくなった。
    (なお、京都駅〜鳥取駅間については走行距離が「あさしお」は230.3kmであるのに対し、「スーパーはくと」「はくと」は253.5kmと約20km長くなっているが、逆に所要時間は約1時間短縮されている。)

     1997(平成9)年11月29日、智頭急行保有車両のHOT7000系気動車の増備により、JR西日本保有車両のキハ181系気動車による「はくと」廃止。「スーパーはくと」に一本化。京都駅〜鳥取駅間下り1本、京都駅〜倉吉駅間下り5本・上り6本。
     2000(平成12)年3月、新快速の130km/h運転の本格開始で「スーパーはくと」京都〜姫路間の最高速度が130km/hに向上。
     2003(平成15)年10月1日、「スーパーはくと」京都駅〜鳥取駅間下り2本・上り1本、京都駅〜倉吉駅間下り5本・上り6本に増発。
     2007(平成19)年11月1日、車内販売が廃止された(車販準備室を喫煙ルームに改装する事を智頭急行が決定し、それに伴い車内販売を行うことが困難になるためJR西日本の指示により廃止された)。
     2008(平成20)年3月15日、「スーパーはくと」下り1本を除き姫路駅で「のぞみ」と接続するダイヤとした。


    あさしお

     1972年(昭和47年)3月15日、特急あさしおとして京都〜城崎(下り1号、上り4号、宮津線経由・豊岡駅で逆編成運転)、京都〜城崎(下り3号、上り2号)、京都〜米子(下り4号、上り1号)、京都〜倉吉(下り2号、上り3号)として運転。
    昭和60年3月14日改正では上下10本となる。
    平成8年3月16日、山陰本線電化に伴い「きのさき」にバトンタッチされ消滅。
    内容はウィキペディアなどを参考にさせていただきました。
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