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先史人色(ひといろ)#f1bf99最初のページ戻る次へ

人類誕生

1.人類誕生

 
  • 球は約38億年前誕生したとされる。

  • 約44億年前 地球は太陽の周囲を廻る軌道にあった天体、すなわちミニ惑星が合体して形成されたとされている。小さな塵などが合体して火星ほどの大きさになり、そして、10個ほどがさらに衝突して現在の地球となった。最後の大きな衝突(ジャイアント・インパクト)によって海が形成された。
     
  • 40億年〜38億年前 この頃、現在、知られている最古の堆積岩が現れる。原始生命が誕生したと考えられている。
     
  • 約38億年前から約25億年前、この時大陸がはじめて安定した。そして光合成によりエネルギーと酸素を作り出す微生物が誕生。
     
  • 約20数億年前には大気中の酸素の増加しはじめる。
     
  • 約16億年前から約9億年前、約10億〜7億年前 ロディニア超大陸の形成。約6億年前に分裂したと考えられている。

     真核生物の誕生。 中期の終盤には有性生殖への進化が起きた。

  • 9億年前から5億4,200万年前、オゾン層ができて紫外線が地表に届かなくなった。

    地理的に、新原生代には超大陸ロディニアが少なくとも8つの地塊に分裂したことによる複雑な大陸移動が引き起こったと考えられる。

  • 5億4,200万年前以前 肉眼で見える大きさで硬い殻を持った生物の化石が初めて産出する。
    海中では様々な種類に至る海洋生物が現れ、中でも三葉虫等の節足動物が繁栄し、藻類が発達した。
    カンブリア爆発…この時期の初期には動物門のほとんどすべてが出現したと考えられ、この時代に動物の多様性が一気に増大した可能性がある。

     後期には多細胞生物も出現した。

  • 約5億900万年前から約4億4,600万年前、オゾン層の形成。

  • 約4億4000万 - 4億1000万年前、地球温暖期に入った。

  • 4億年前 陸上植物が出現。アンモナイトが現れる。 魚類の登場。サンゴ類の繁栄。植物の陸上進出。昆虫の誕生。脊椎動物の登場、無顎類動物が一般的に。

  • 約4億1,600万年前から約3億6,700万年前、「魚の時代」と呼ばれる。古生代の中ごろ、魚類が繁栄し、シーラカンスや肺魚、アンモナイトもこの時代に出現。 陸上では、最古の森林が発達し、巨大な節足動物が出現。また両生類が出現したのもこの時代。

  • 約1億9500万年前〜約1億3500万年前、恐竜が繁栄、原始的な鳥類の出現、被子植物の出現。

  • 6500万年前、霊長類(有胎盤類)の出現。

  • 約4000万年前、現代の動物相につながるものがほぼ出現している。ヒトの祖先はこの時代に誕生した。

  • 2500万年前、最古の類人猿と思われる化石?がアフリカのケニヤで発見された。
    1300万年前 この頃からヨーロッパ、南アジア、東アジアなどユーラシア各地にも類人猿の化石が現れる。

  • 約600万〜500万年前 この頃、ヒトとチンパンジーが分化したとされる。直立二足歩行の開始。

2.大陸から日本列島へ

 地球の気候は温暖期と氷河期を行き来しています。紀元前7万年頃から紀元前1万4千年頃にかけては地球は氷河期で、日本列島は、朝鮮半島や千島列島によって大陸と陸続きだったとされています。インドシナ半島からインドネシア、フィリピンなどは大陸と陸続きで、「スンダランド(Sundaland)」という広大な平野だったといわれています。中国と朝鮮半島、日本列島に囲まれた黄海も平野であったようです(北海道以北、東シナ海の大陸棚がそれに当たる)。

 広大なスンダランドはアジア系民族の故郷であるといわれています。紀元前5万年頃から一部が北上し、人がモンゴルやシベリアにまで広がりマンモスハンターとなり、彼らは徐々に寒さに適応して北方系のアジア民族になっていきます。また、一部の人々は海洋民族として太平洋に広がり、ポリネシア(概ねハワイ諸島・ニュージーランド・イースター島を結んだ三角形「ポリネシアン・トライアングル」の中にある諸島の総称。)へ移住しました。これと同じ時期に世界の数ヶ所、同じ様な場所があるようです。

 先土器文化は、その名の通り土器のない時代です。石を打ってつくった打製石器と、石を磨いてつくった磨製石器を使う文化です。この時期、すでに日本列島には縄文人の先祖にあたる旧石器人が住んでいました。

2.DNA研究の進展

  日本人の起源は南方系の縄文人と北方系の弥生人であるとする埴原和郎氏らの二重構造説がりました。しかし、すくなくとも従来の時代的概念としての縄文人/弥生人という単純な図式では説明できないとする説が台頭し、今日では埴原氏の二重構造説には多くの批判があります。他方、日本人が重層構造であることは人類学者・考古学者の間では支持する意見が強く、また、分子人類学的なDNA解析(ハプログループによる地域的分布の解析)もあくまで生物学的データであり、文化的な交流や、実際の移動の実態および移動の理由などについては、今後も文化人類学、歴史学、考古学など周辺諸科学の総合的な調査が求められます。

 1980年代からのミトコンドリアDNA研究の進展により、ヒトの母系の先祖を推定できるようになりました(ミトコンドリア・イブ)。これにより、アフリカ単一起源説がほぼ証明され、また民族集団の系統も推定できるようになりました。ただし、ミトコンドリアDNAは形態の生成に関与しない遺伝子であり、DNAタイプ(ハプロタイプ)と形質的特徴(骨格、体格、顔、皮膚など)とは必ずしも対応しないとされています。

 この母系をたどるミトコンドリアDNAに対して、父系をたどるY染色体は長期間の追跡に適しており、1990年代後半から研究が急速に進展しました。ヒトのY染色体のDNA型はAからRの18系統があり、これらはアフリカ限定のA系統とB系統、出アフリカのC系統、DE系統、FR系統に分けられます。崎谷満氏の分析によれば、これら5系統のうち、世界の多くの地域ではせいぜい2系統しか見られませんが、日本人にはC,DE,FRの出アフリカ3系統すべてが見られ、従来の予想に反して日本人の遺伝子は多様であることが分かりました。日本人は、D2系統とO2b系統を中心に、多様な系統が混じり合っていることが分かりました。

 日本列島への渡来人は、一時期に集中して起こった訳ではなく、幾つかの渡来の波があったと考えられています。また、そのルーツに関しても、黄河流域〜山東半島、揚子江流域からの南方ルート、満州〜朝鮮半島から、樺太など北方ルートの3つがあり、渡来の規模とともに今なお議論の対象となっています(最近の遺伝子研究ではおおむねにおいて渡来人は北東アジア起源が有力です)。

分子人類学による日本人の系統

  C DE FR
C1 C3 D1 D2 D3 N O1 O2a O2b O3
日本 アイヌ 0 13 0 88 0 0 0 0 0 0
青森 8 0 0 39 0 8 0 0 31 15
東京 1 2 1 40 0 0 3 1 26 14
静岡 5 2 0 33 0 2 0 0 36 20
徳島 10 3 0 26 0 7 0 0 33 21
九州 4 8 0 28 0 4 2 0 36 26
北琉球 4 0 0 39 0 0 0 0 30 16
南琉球 0 0 4 0 0 67
北アジア オロチョン 91 0 0 0
エヴェンキ 68 17
満州 27 0 4 0 4 38
ブリヤート 84 0 28 0 2 2
ハルハモンゴル 52 0 1 1 0 0 23
ユカギル 50 25
コリャーク 33 33
チュクチ 25 25
ケット 17
ニヴフ 38
東アジア北部 朝鮮 12 0 3 0 51 38
華北 5 0 2 0 66
0 6 0 0 28
チベット 3 16 0 33 0 0 33
東アジア南部・
東南アジア
華南 5 0 15 30 0 33
台湾 0 11 7 0 60
イー 16 0 9 0 33
トゥチャ 18 3 0 0 0 53
ミャオ 4 7 0 7 11 0 71
ヤオ 2 0 2 3 0 52
シェ 0 2 35 0 63
チワン 0 11 68 0 16
タイ 0 47 6
ベトナム 4 3 0 6 36 14 41
マレー 11 3 0 9 28 0 31
ジャワ 23 42
フィリピン 41 1

Y染色体による系統分析による日本人の系統による仮説(拙者作成)

      
年代区分文明DNA型特 徴
約3万年前〜1.2万年前後期旧石器時代細石刃石器群C3系統列島に最初に人が登場したのは、シベリアの狩猟民であるC3系統。バイカル湖周辺からアムール川流域およびサハリンを経由して、最終氷期の海面低下により地続きとなっていた北海道に達した。また一部は沿海州(シベリア東岸)を南下し、朝鮮半島を経由して北部九州に達した。細石刃石器を用い、ナウマンゾウを狩っていたと考えられている。
1万数千年前縄文前期土器の出現・竪穴住居D2系統縄文海進。大陸からD2系統が入ってきた。これが縄文人である。D2は日本だけで見られる系統であり、アイヌ人88%、沖縄人 56%、本土日本人42〜56%で、朝鮮半島では0%です。近縁のD1,D3がチベットで見られます。D系統は華北で東西に分かれ、東がD2、西が D1,D3になったと考えられている。
 同じ頃、経路は不明だが、インドに起源を持つC1系統が南方から入ってきた。貝文土器を用い、縄文人とは異なる文化を南九州に築いた。
約4000年〜2800年前縄文後期・晩期定住化が進むO1系統O1系統は台湾が起源であり、オーストロネシア語族[*1]との関連が想定されている。台湾と近いにも関わらず、日本列島ではO1はごく少数に過ぎない。
BC1000〜BC800年弥生早期・前期水稲耕作O2a/O2b系統秦の中国統一。O2a/O2b系統は長江文明の担い手だと考えられている。O2b系統が緊急移動を開始したので、長江文明の衰退に伴い、O2aおよび一部のO2bは南下し、百越[*2]と呼ばれた。残りのO2bは北上し、山東省、朝鮮半島、日本列島に達した。長江文明の稲作を持ち込んだと考えられている。
BC400〜3c中期弥生中期弥生式土器と西日本に青銅製の武器型祭器D2やO2bなど朝鮮半島が韓の植民地化。 日本列島の特異な点は、大陸では敗者となった集団が、絶滅せずに混じり合って存在していることである。その他にもC1,O1,O3など多様な遺伝子集団を吸収し、保持し続けている。
1〜3c中期弥生後期鉄器が普及O3系統黄河中上流を起源とし、漢民族に典型的に見られる他、周辺の諸民族にも広く見られる。歴史的にO3は一貫して拡大しており、このためにD系統およびO2系統が駆逐されたと考えられている

*M7…日本には世界で日本人にしか見られないというグループ。これは台湾付近で発生したと考えられ、沖縄・アイヌに多く本州で少ないという特徴的な分布。

[*1]…台湾から東南アジア島嶼部、太平洋の島々、マダガスカルに広がる語族
[*2]…百越(ひゃくえつ)は、古代中国大陸の南方、主に江南と呼ばれる長江以南から現在のベトナムにいたる広大な地域に住んでいた、越諸族である百越族(ひゃくえつぞく)の総称。越、越人、粤(えつ)とも呼ぶ。

各特徴はあくまでも道具・文明によって拙者が想像上により考察したものです。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

3.最初の但馬人(たじまじん)

 現在までに、日本列島全域で4,000カ所を超える遺跡が確認されている。これらの遺跡のほとんどが約3万年前から12000年前の後期旧石器時代に残されたものである。

 では、

但馬地方に最初に人が住み着いたのはいつごろだろうか?

 火山活動が終わり、兵庫県北部で最も古い遺跡が発見されたのは、美方郡新温泉町畑ヶ平(はたがなる)遺跡で、火山灰の下から約2万5,000年前の旧石器時代のナイフ形石器が発見されている。見つかった石器や石材の種類はさまざまなので、人々が継続的に活動していた証だといえる。ただし、ここは標高1,000mの高地であり、当時の気候などが分からないが、季節を選んだ一時的な居住場所であったのではともいわれている。

 また、養父市関宮(せきのみや)町・豊岡市但東(たんとう)町で尖頭器が発見されている。上山高原遺跡(養父市大屋町上山字峯山、標高773mの御祓山から北東にのびる尾根の、標高480〜520mの緩やかな斜面にで、一片の土器破片(縄文時代早期)が採集され、神鍋(かんなべ)遺跡(豊岡市日高町神鍋字笹尾・上野、標高330〜360m−縄文早期までの複合遺跡)で爪型文土器が発見され、別宮家野(べっくいえの)遺跡(養父市別宮字家野 海抜6〜700m、旧石器/縄文までの複合遺跡)では、約8千年前の縄文時代早期の平地式住居跡・屋外炉跡・貯蔵穴・焼土抗・配石遺構が見つかっている。

 鉢伏高原遺跡(養父市関宮町丹戸(たんど))で縄文時代前期前半の竪穴式住居跡、土坑、集積遺跡を検出した。尖頭器なども出土した。

 高柳ナベ遺跡(養父市八鹿町高柳)で発掘された遺跡は、縄文時代早期に土を掘った穴が1か所、古墳時代の竪穴住居跡が8棟、奈良時代の掘立柱建物跡が21棟、古墳時代から平安時代にかけて粘土を掘った採掘坑等で、早い時期から連続した遺跡である。


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