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近世江戸紫(えどむらさき)#745399 最初のページ戻る次へ

ヨーロッパ近代国民国家

概 要

目次

  1. 大航海時代
  2. 政治と宗教の分離
  3. 植民地時代
  4. 琉球国
  5. アメリカ合衆国
  6. 清国(中国)
  7. 朝鮮
 近代西欧諸国の産業資本主義の対外交易戦略によって、初期にはポルトガル・スペイン両帝国が、大航海時代の先頭を切って海外に進出しました。スペインはコロンブスの新大陸発見後、中米のメキシコ、南米のペルーを中心とする大領土を獲得し、さらに太平洋を横断してフィリピン諸島の領有にも成功しました。

 17世紀後半からの約100年間に、ヨーロッパの政治に新しい動きが起こりました。イギリスでは、政治や宗教の対立から国王と議会の間で長い抗争が続いていました。1688年、宗教政策などをめぐり対立が激化し、議会は新しい国王を迎えましたが、旧国王は外国に亡命し流血を見ることはありませんでした。これを名誉革命といいます。これによって議会制度の基礎が固められ、イギリスは立憲君主制の国家となりました。

 イギリスの植民地だったアメリカは、本国の国王から課せられる重税と抑圧に抗議して、1776年、独立宣言を発表しました。その後、アメリカは合衆国憲法を制定し、三権分立の国家体制を確立しました。

 1789年にはフランス革命が起こりました。財政難がもとで国王や貴族に対する反乱が起こり、のちには国王を処刑するなどの過激な流血事件に発展しました。その中で身分の特権を廃止し、「自由・平等」をうたう人権宣言が発表されました。

 これらの政治の動きは、王や貴族の政治独占を認めず、人々が平等な市民(国民)として活動することをめざし、近代国家を生み出したので、市民革命とよばれています。  


2.政治と宗教の分離

 改革派とカトリックが拮抗していたドイツでは、1618年にボヘミア戦争で勃発した改革派の武装蜂起をきっかけに、全面戦争(三十年戦争)に突入しました。この戦いは、宗教的対立と、ハプスブルク家の膨張政策への反発が入り交じり、デンマーク、スウェーデン、フランスなどが介入して、足かけ三十年に及びました。洗浄となったドイツでは、人口が約40%も減少したといわれています。1648年のヴェストファリア条約で終末を迎えましたが、オランダやスイスの独立が認められたほか、ドイツの諸連邦が主権国家の地位を与えられ、ドイツの分裂が確定しました。この条約でドイツに平和と宗教的な寛容の精神をもたらしました。政治と宗教の分離が初めて試みられたのです。また、これまでのヨーロッパ外交に新しいスタイルを切り開きました。

  • 教皇や皇帝の仲裁が全く発揮しなくなったこと
  • 当事国同士の交渉に代わって、主要国の代表が一堂に会し、ヨーロッパ全体の利害を調整する国際会議が開催されたこと
  • 諸国は外交を担当する専門家を養成するようになったこと

     外交使節の常駐により、長期間にわたる粘り強い交渉も可能になりました。戦争の被害を最小限度に抑えるシステムができたのです。

     17世紀後半から、イギリスとオランダの覇権争いにフランスが加わり、三度にわたる英蘭戦争でオランダが没落したあとの18世紀は、イギリスとフランスの激しい植民地争奪戦が世界を舞台に行われました。イギリスはフランスの重商主義による海洋帝国化に脅威を感じ、強力な海軍建造計画を推進しました。

  • 3.植民地時代

     19世紀始めのナポレオン戦争に勝利したイギリスは世界の海の覇権を握り大英帝国を建設することになりました。その植民地はあまりにも多くてすべてを列挙することはできませんが、東南アジアのビルマと海峡植民地(後のマレーシア)、中国の香港、流刑植民地として出発したオーストラリアとニュージーランド、アフリカではナイジェリア、南アフリカ、南アメリカ大陸のフォークランド諸島などを植民地としました。イギリスはまたスペイン・ポルトガルから独立後の南米諸国やオスマン帝国から独立した中近東諸国にも大きな影響力を持っていましましたが、これらの植民地は第二次世界大戦後民族独立の波に乗って次々に独立していきました。

     フランスは当初、カナダのケベックとカリブ海のマルティニーク島、グアドループ島に入植しましたが、七年戦争でイギリスに敗れ、カナダを放棄しました。西アフリカのセネガルも古くからのフランス植民地でした。19世紀になってイスラム圏であるアルジェリアと東洋の仏領インドシナ、南太平洋の仏領ポリネシアのタヒチやニューカレドニアなどの植民地化に成功しました。これらの植民地も第二次世界大戦後民族独立の波に乗って次々に独立していきました。なおタヒチでは、1990年代フランス政府が強行した核実験に反発した地元住民を中心とした解放機構が、植民地支配からの独立を訴えましたが、大統領のジャック・シラクは「タヒチはフランスの一部である」と言明し核実験を強行、今も独立闘争が続いています。

     ベルギーはベルリン会議の決議としてベルギー領コンゴ(ザイール共和国、のちのコンゴ民主共和国の領域)を保持していました。1908年にベルギー国王の私有地であるコンゴ自由国からベルギー政府の植民地(ベルギー領コンゴ)に移行しました。1960年にコンゴ共和国として独立。コンゴの東に隣接するルワンダ・ウルンディ(ルワンダとブルンジとして独立)は第一次世界大戦後に獲得した植民地でした。

     デンマークは北極周辺に植民地を保有し、グリーンランド、フェロー諸島を領有していましたが、現在は両国とも自治領となっています。アイスランドもかつてはデンマーク領で、大航海時代には、デンマーク海上帝国として、デンマーク領西インド諸島、インドのニコバル諸島に植民地を保有していました。後に前者はアメリカ合衆国、後者はイギリスに売却されました。

     スウェーデンは1638年に新大陸にニュースウェーデン(現在のデラウェア州)に植民しましたが、後にオランダに奪われます。植民よりも貿易に力を入れていました。ただしスウェーデンの植民地の先駆けは、中世以来のフィンランドだとも言えます(バルト帝国)。近代はロシア帝国に支配されましたが、現在でもフィンランド社会におけるスウェーデン社会は深く浸透しており、その影響力は非常に大きいです。1784年には、フランスから西インド諸島の小島を買取り、西インド会社を設立しましたが、すぐに閉鎖されています。若干の殖民も行われたものの、1878年に返還されました。島には、今もスウェーデン系の住民が多いです。

     ノルウェーは現在、北極海、大西洋上に植民地を領有しています。ヴァイキング時代には、グリーンランド、アイスランドも領有していました。現在の植民地は、ノルウェー独立(1905年)以後のものです。北極海にスヴァールバル諸島、ヤンマイエン島、大西洋上にブーベ島、ピョートル1世島を領有しています。また南極の一部も領有権を主張しています。ヴァイキング時代の植民地を巡ってデンマークと領有権問題を起こしましたが、現在は解決しています。

    11.植民地化の要因

     植民地とは、国外に移住者が移り住み、本国政府の支配下にある領土のことです。古くは古代ギリシアや古代ローマなどにも見られますが、15世紀に始まる大航海時代以降、ヨーロッパ各国が侵略によって獲得した海外領土を主としてそう呼びます。

    植民地化の動機・要因には、主に以下のようなものがあります。

  • 天然資源や労働力(奴隷)、市場の確保
  • 本国に隣接した地域への領土拡大
  • 本国民を移住させるための開拓地獲得
  • 本国や既得植民地、海上交通路の防衛のための要塞や緩衝地確保
  • 他国の植民地とされる前に勢力圏として確保
  • 宗教的使命による布教地拡大

     植民地は、一般的に植民地統治が継続する中で、まず外交権や駐軍権のみを獲得し、内政は先住民による統治に任せて原則として干渉しない保護領としてはじまり、現地の王侯や部族長を通じて支配する間接統治に移ります。やがて、本国から総督や民政長官、軍政長官などを派遣して支配する直接統治に変わり、本国が外交と防衛のみを担当し内政は現地住民によって民選された政府・議会に委ねる自治植民地へと変わっていきます。

     ただし「自治」とはいっても、参政権は本国出身者に限定されたり、先住民の参加を認めても公用語(本国の言語)習得や一定額以上の納税などの条件を付けて、事実上の参政権が著しく制限されることが多かった。

     植民地が本国に隣接している場合、最終的に本国領土の一部として編入され、その過程で先住民も同化が進み、固有の言語や文化、民族意識を失っていく傾向にありました。植民地における主権は領有国が有しますが、特殊な形態として保護国、租借地や租界、複数国による共同統治領、国連の委任統治領や信託統治領などがあります。

     現代においても事実上の植民地を保有する国は多いですが、第二次世界大戦以降は各地の植民地で独立運動が盛んになったり、国連総会における植民地独立付与宣言の決議で、植民地という存在そのものが国際的に否定されたことから、客観的に見て植民地と言いうる実態を有している地域であっても、先住民に本国民と対等の権利を与えて海外領土自治領などという言い換えをすることが多いようです。

     その他、少数民族の居住地域で、独立運動や市民的自由の抑圧、資源の収奪等の過酷な統治が行われている地域を通俗的に植民地と呼ぶこともあります。中国のチベット自治区や新疆ウイグル自治区、内モンゴル自治区などはこのような文脈で植民地と言われることが多いのです。。

    出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』他


  • 11.大西洋三角貿易(奴隷貿易)

     多国間貿易の内、大航海時代以降にイギリスに黒字をもたらした3国間(3地域間)貿易を特に「三角貿易」という。三角貿易は、主にイギリスの都合に従ってつくられたものであるため、実際には他の2ヶ国(2地域)にとっては不都合であり、様々な軋轢を生んだ。

     大西洋三角貿易には、三角形の頂点にあたる地域は、ヨーロッパ・西アフリカ・西インド諸島の3地域。辺にあたる貿易ルートはヨーロッパの船による一方通行となっており、また、特定の海流に乗っている。

     17世紀から18世紀にかけて、イギリスをはじめとするヨーロッパでは喫茶の風習が広まり、砂糖の需要が急激に高まった。それに伴い、砂糖を生産する西インド諸島およびブラジル北東部などでは労働力が必要となった。

     こうした状況の下で、ヨーロッパから出航した船は、カナリア海流に乗って西アフリカへ繊維製品・ラム酒・武器を運んだ。輸出された武器は対立するグループ間へ供与され、捕虜(奴隷)の確保を促すこととなった。それらの品物と交換で得た奴隷を積み込み、南赤道海流に乗って西インド諸島やブラジル(ブラジル南東部へはブラジル海流)へと向かい、交換で砂糖を得て、メキシコ湾流と北大西洋海流に乗って本国へ戻った。こうして、ヨーロッパ→西アフリカ→西インド諸島→ヨーロッパという一筆書きの航路が成立し、「三角貿易」と言われた。

      奴隷の一部はアメリカ合衆国南部へと輸出され、多くは綿花のプランテーションで働かされることとなった。綿花はイギリスの織物工場へ輸出され、産業革命の基盤になったとされている。

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