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但馬の藩

目次

  1. 概要
  2. 兵庫県の大名領
  3. 但馬の藩

兵庫県の大名領

 江戸時代の末期、今の兵庫県には、大名領のほか、幕府直轄領(天領)、旗本領、公家領、寺社領など、130を超える領主によって支配されていました。

 慶応4年(1868)5月、旧幕府直轄領等を管轄地として兵庫県(第1次)が設置されましたが、多くの大名領は明治4年(1871)まで存続していました。

兵庫県域内に本拠地を置いていた大名
国名 領国(藩名) 藩庁所在地(現在の市町名)藩主名 石高席次城持大名
摂津国 尼崎藩 川辺郡尼崎(尼崎市) 松平(桜井)忠興 譜代 4万石帝鑑間
三田藩 有馬郡三田(三田市) 九鬼 隆義 外様 3万6千石柳間
播磨国 姫路藩 飾東郡姫路(姫路市) 酒井 忠惇 譜代 15万石溜間
明石藩 明石郡明石(明石市) 松平(越前)慶憲 親藩 8万石大広間
龍野藩 揖東郡龍野(たつの市) 脇坂 安斐 譜代 5万1千石帝鑑間
赤穂藩 赤穂郡赤穂(赤穂市) 森 忠典 外様 2万石柳間
三日月藩 佐用郡三日月(佐用町) 森 俊滋 外様 1万5千石柳間
小野藩 加東郡小野(小野市) 一柳 末徳 外様 1万石柳間
三草藩 加東郡三草(加東市) 丹羽 氏中 譜代 1万石帝鑑間
山崎藩 宍粟郡山崎(宍粟市) 本多 忠鄰 譜代 1万石帝鑑間
安志藩 宍粟郡安志(姫路市) 小笠原 貞孚 譜代 1万石帝鑑間
林田藩 揖東郡林田(姫路市) 建部 政世 外様 1万石柳間
但馬国 出石藩 出石郡出石(豊岡市) 仙石 久利 外様 6万石→3万石柳間
豊岡藩 城崎郡豊岡(豊岡市) 京極 高厚 外様 1万5千石柳間
丹波国 篠山藩 多紀郡篠山(篠山市) 青山 忠敏 譜代 6万石雁間
丹波柏原藩 氷上郡柏原(丹波市) 織田 信親 外様 2万石柳間
●県内では、これらの藩のほか、福本藩(播磨[旧神崎町]・池田喜通・約1万2千石)と村岡藩(但馬[旧村岡町]・山名義済・1万1千石が、慶応4年(1868)6月になって立藩しました。出石藩は天保6年(1835年)、仙石騒動により半分に厳封される。
京都府域内に本拠地を置いていた大名
国名 領国(藩名) 藩庁所在地(現在の市町名) 藩主名 石高席次城持大名
丹波国 丹波亀山藩南桑田郡亀山(亀岡市)松平 信正譜代 5万石帝鑑間
園部藩船井郡園部(南丹市)小出 英尚外様 2万4千石柳間
綾部藩何鹿郡綾部(綾部市)九鬼 隆備外様 1万9千5百石柳間
山家藩何鹿郡山家(綾部市)谷 衛滋外様 1万石
福知山藩天田郡福知山(福知山市)朽木 為綱譜代 3万2千石雁間
丹後国 丹後田辺藩加佐郡田辺(舞鶴市)牧野弼成譜代 3万5千石雁間
宮津藩与謝郡宮津(宮津市)松平宗武譜代 7万石雁間
峰山藩中郡峰山(京丹後市)京極高陳外様 1万3千石菊間
席次

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 -兵庫県史料-

但馬の藩

 武家諸法度は、「権ある者は禄少なく、禄ある者は権少なく」という大名統御の大原則です。御三家、加賀前田家100万石、薩摩島津77万石以下の外様大大名や、京の抑えを担当させた彦根の井伊家に破格の35万石を与えたのを除き、譜代大名の禄を最高15万石に抑えていました。

 元禄時代の経済の急成長により、貨幣経済が農村にも浸透し、四木(桑・漆・茶・楮)・三草(紅花・藍・麻または木綿)など商品作物の栽培が進み、漁業では上方漁法が全国に広まり、瀬戸内海の沿岸では入浜式塩田が拓かれて塩の量産体制が整い各地に流通しました。手工業では綿織物が発達し、伝統的な絹織物では高級品の西陣織が作られ、また、灘五郷や伊丹の酒造業、有田や瀬戸の窯業も発展しました。やがて、18世紀には農村工業として問屋制家内工業が各地に勃興しました。

 人と物の流れが活発になる中で、城下町・港町・宿場町・門前町・鳥居前町・鉱山町など、さまざまな性格の都市が各地に生まれました。その意味で江戸時代の日本は「都市の時代」であったという評価があります。18世紀の初めころの京都と大坂はともに40万近い人口をかかえていました。同期の江戸は、人口100万人前後に達しており、日本最大の消費都市であるばかりでなく、世界最大の都市でもありました。当時の江戸と大坂を結ぶ東海道が、18世紀には世界で一番人通りの激しい道だったといわれています。

 このような経済の発展は、院内銀山(秋田県湯沢市)などの鉱山開発が進んで金・銀・銅が大量に生産され、それと引き替えに海外の物資が大量に日本に入り込んだためでもありましたが、18世紀に入ると減産、枯渇の傾向がみられるようになりました。参勤交代制度、江戸・京屋敷や大坂屋敷の運営、江戸市中の普請などによって、全国諸藩の財政は、江戸中期の元禄期には既に破綻していたといわれています。元禄の末期には、これに加えて幕府の財政も破綻していきました。

 但馬諸藩も例外ではありませんでした。幕末には後述の仙石騒動、生野の変、多発する村一揆など武士や農民も限界点に達していたのではないでしょうか。

 しかも、江戸三大事件とされる赤穂浪士による忠臣蔵が起こりました。仙石騒動で減封された出石藩にとっても、維新に自ら城を解体したことからも不安は並々ならぬものではなかったでしょうか?

 「ええじゃないか」踊りが全国で流行りました。但馬でも記録があります。江戸末期の但馬の一般民衆の暮らしは、困窮を極めていた事が伺われます。このように全国各地で260年間続いた藩幕体制は崩壊に向かっていきました。

 但馬・丹後は、佐渡金山、石見銀山と並ぶ三大鉱山の生野銀山をはじめ明延、神子畑鉱山等があり、また日本海の北回船の海運などにより、織田・豊臣・徳川幕府が重要視していました。従って、丹後久美浜などとともに江戸時代になっても幕府直轄領(天領)が多く、但馬国内では出石藩・豊岡藩・村岡旗本領といういずれも外様の小藩がありました。

  • 出石藩…小出吉政(よしまさ)外様 6万石で入封、吉英(よしひさ)…岸和田藩より5万石にて再封、松平忠周(ただちか)譜代…4万8千石、仙石(外様)…5万8000石→3万石
  • 豊岡藩…杉原 外様 20,000石→25,000石→10,000石 (1600年〜1653年)、天領 (1653年〜1668年)、京極家 外様 35,000石→15,000石 (1668年〜1871年)
  • 村岡藩…山名家 交代寄合 6700石→1万1000石

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