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縄文土器色(かわらけいろ)#c37854 最初のページ戻る次へ

神奈備(かむなび)

概 要

目 次

  1. 神奈備
  2. 神社の施設、設備
  3. 神鍋山
  4. 神鍋山を囲むトライアングル(三柱)
  5. 気多郡に多い名神大社
    1. 雷(いかづち)神社
    2. 山(やま)神社
    3. 戸(との)神社
    4. 椒(ほそぎ)神社
    5. 海(あまの)神社
    6. 天神社
 神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とは、神霊(神や御霊)が神留る(かんずまる)場所としての御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を無数に擁した領域の事や、自然環境を神体(しんたい)とした神代(かみしろ)のひとつの在り方。

 神が「鎮座する」または「隠れ住まう」山や森の神域をさし、神籬(ひもろぎ)磐座(いわくら)となる森林や神木(しんぼく)や鎮守の森や山(霊峰富士)をさし、または岩(夫婦岩)や滝(那智の滝)などの特徴的な自然物がある神のいる場所をいう。神籬(ひもろぎ)と磐座(いわくら)の総称でもある。


1.神奈備(かむなび)

 「カンナビ」は「神並び」の「カンナラビ」が「カンナビ」となったとする鎮座の意味や「ナビ」は「隠れる」の意味であり、「神が隠れ籠れる」場所とする意味であるという解釈がある。神名備・神南備・神名火・甘南備とも表記します。

 神社神道も元は、日本で自然発生的に生まれた原始宗教ともいわれ、自然崇拝や精霊崇拝を内包する古神道から派生し、これら神社神道も古神道も現在に息づいています。

 おそらく縄文時代、遅くとも弥生時代には、自然物崇拝をする原始信仰の対象で、背後にある山や、山にある岩(磐座)を神として奉った信仰において、神が居る場所の事、もしくはそのような信仰の事を意味します。神奈備信仰の神社では、山や磐がご神体のため、もともと社内にご神体を奉った建物がありませんでした。

 神社の起源は、磐座(いわくら)や神の住む場所である禁足地(俗に神体山)などで行われた祭事の際に、臨時に建てた神籬(ひもろぎ)などの祭壇であり、元々は常設のものではありませんでした。元来は沖縄の御嶽(うたき)のようなものだったと考えられます。

 現在の神社には、神体として注連縄(しめなわ)が飾られた社がありますが、同時に境内の内外に神木や霊石としての岩や鎮守の森、時として湖沼や滝などの神体が存在し、主たる賽神の尊(みこと)とは別に、自然そのものの神体が存在します。また古代から続く神社では現在も本殿を持たない神社があり、磐座や禁足地の山や島などの手前に拝殿のみを建てているところもあります(参考:大神神社、石上神宮、宗像大社)。

 神社に社殿が設置されるようになる過程には仏教寺院の影響もあるといわれます。神社には常に神がいるとされるようになったのは、社殿が建てられるようになってからといわれています。現在の神社神道としての神体は「社(やしろ)」すなわち神社本殿であり、神奈備とはいわなくなりました。

2.神社の施設、設備

 神が君臨すると思われた山などのご神体に、祭事を行う「カンドコロ」が常設されるようになると、社が建てられ、村(邑)のそれぞれの神社は、人々の生活と密着に関わっていきました。奈良時代になると新年の祭りに当たって、政府から奉幣を受けるようになります。これが奈良時代の「官弊社」です。さらにこれを大社、中社、小社に分けて、国府から奉幣する官社と、神祇官から奉幣する弊社に分けられました。

 神社の周りには鎮守の杜と呼ばれる森林があるのが一般的です(都市部などでないこともある)。御神木(ゴシンボク)といわれる名木には、注連縄(シメナワ)が結ばれているものもあります。神社の入口には、境内と俗界の境界を示す鳥居があり、社殿まで参道が通じています。参道のそばには身を清めるための手水舎(チョウズヤ:手洗所)、神社を管理する社務所などがあります。大きな神社では神池や神橋がある場合もあります。

 社殿は一般に本殿(神殿)・拝殿からなります。人々がふだん参拝するときに目にするのは拝殿で、御神体が安置される本殿は拝殿の奥にあります。本殿と拝殿の間に参詣者が幣帛(ヘイハク:神道の祭祀において神に奉献するもののうち、神饌(シンセン)以外のものの総称)を供えるための幣殿が設置されていることもあります。

 神社の敷地(境内)には、その神社の祭神に関係のある神や元々その土地に祀られていた神を祀る摂社や、それ以外の神を祀る末社があり、両者をあわせて摂末社と総称しまする。境内の外に摂末社がある場合もあり、それは境外社と呼ばれます。

 また、神仏習合が始まる奈良時代には、神社の境内に神を供養する神宮寺(別当寺、宮寺)が建てられるようになり、それ以後、神社内に寺院が建てられることもありましたが、明治初期の明治政府による神仏判然令(神仏分離令)により、神社と寺院は分離され、神社境内にあった五重塔や仏堂などは撤去され、僧侶と神官も区別されました。

 神道とは、日本の民俗的な信仰体系であり、日本固有の多神教の宗教です。現在は包括的な法整備によって神道は宗教法人に属していますが、本来の姿は宗教ではなく、自然や環境の保護や感謝、生に対する敬意を奉るものです。そのため、神職は他の宗教と違って宗教者ではなく、あくまでも神に対する奉仕者です。神社祭祀の担い手は神職(神主とも。宮司、禰宜、権禰宜など)と呼ばれる奉仕者ですが、仏教やキリスト教などの宗教者と違って布教的性格をもたないのが一般的です(神道系の新宗教は例外)。

 従来、小規模な神社では専属の神職がいることは少なく、氏子が神社を建て、交替で管理し、神職を呼んで祭祀を行っていまし。また、神宮寺があった場合は神宮寺の僧侶が管理、祭祀を行なっていました。現在、神職になるには、一般大学において神道を専攻して資格を取得した後、卒業しなければなりません。卒業後に全国の神社において研修(インターン制度)があるため、資格を取得していても、卒業をしていなければ神職にはなれないそうです。

3.神鍋山(かんなべやま)

出雲国風土記におけるカンナビ山

 「かんなび山」は信仰の対象として古代人に祭られていた山のことを指します。一般的には「神奈備」と書きますが、出雲国風土記には、「神名樋野」「神名火山」と書いて意宇郡、秋鹿郡、楯縫郡、出雲郡の4カ所であったとされます。これらはいずれも「入海(宍道湖)」を取り巻くようにそびえています。漢字表記はさまざまです。

■「神名樋野」風土記では(茶臼山) 秋鹿郡(松江市山代町 矢田町)
■「神名火山」(朝日山)眞名井神社 意宇(おう)郡(松江市東長江町・鹿島町)
■「神名樋山」(大船山)楯縫郡 (出雲市多久町)
■「神名火山」(仏経山)曽支能夜社(そきのやのやしろ) 出雲郡(簸川郡斐川町神氷)

 兵庫県豊岡市日高町にある神鍋山は、大正時代に開かれた関西初のスキー場として知られています。約2万年前の火山活動でできたスコリア丘で、標高469m、周囲約750mの噴火口は深さ約40mの擂鉢状の草原になっています。北西隣の大机山、南東の太田山、ブリ山、清滝山といった単成火山とともに神鍋単成火山群を構成しています。周辺には同時代に生成された風穴・溶岩流・滝などがあり、同じくスキー場として知られる鉢伏高原(養父市)とともに早くから人が住み着いた遺跡や古墳が多数あります。
 噴火した火山の火口跡が鍋のような形状から「神様のお鍋」という意味で神鍋山とついたのでしょう。これは上記のようにもともと「神奈備(かむなび)山」が訛って「かんなべ」となり、「神鍋」という字を当てたのではないかと思います。ゲレンデ名になっている岩倉という字名があり神奈備の磐座(いわくら)のことではないでしょうか。

 気多人(けたじん)のルーツと思われる縄文人は、中国山地を尾根づたいに獲物を追ってやってきたとも考えられます。また、海水面が今よりも低かった頃、海岸づたいに転々と移り住みながら移動してきたと考えられます。

 兵庫県内で古い遺跡が発見されたのは、温泉町畑ヶ平遺跡、養父町・但東町の尖頭器発見、 大屋町の上山高原で採集された一片の土器破片と、日高町神鍋ミダレオ遺跡(神鍋字笹尾・上野、標高330〜360m−縄文早期までの複合遺跡)で見つかった爪型文土器、訓原古墳群、家野遺跡(旧石器/縄文集落跡)養父市別宮字家野(海抜6〜700m、縄文早期までの複合遺跡)の2カ所です。2カ所は同じ山岳地帯で尾根でつながっています。人類は最初、山岳地帯から住み着いていました。

4.仮説:神鍋山を囲むトライアングル(三柱)!


黒線部が旧気多郡

大きな地図で見るgooglemap
 噴火した火山の火口跡を見つけた縄文人は、鍋のような形状から、「カネ・ナペ」、「神奈備(かむなび)」が訛って「かんなべ」となり、「神様のお鍋」、「神鍋」という字を当てたのではないでしょうか?!

 このマオリ語のカネ・ナペとしても意味が通じるのです。

 いずれにしても神鍋遺跡や尾根づたいの鉢伏山で兵庫県で最も古い時代の遺跡が発掘されていることから、中国山脈の山岳地帯に住み、さらに尾根づたいに獲物を求めて移動し、神鍋山辺りに住み着いたとも思われます。

 これは神鍋山(かんなべやま)を神奈備と想定して、山神社、椒(ほそき)神社、雷神社の三つの名神大社を結ぶと正三角形に鳴ることに気が付きました。このトライアングルは、「三柱信仰」ではないか!と思うのです。

5.気多郡に多い但馬の名神古大社

 「三代実録」承和九年(842)十月十五日の条によれば、旧気多郡の山神・雷神・戸神・椒(ほそぎ)神、城崎郡海神の五社を官社に指定しており、但馬では気多郡、城崎郡の例が知られるだけです。(木偏に蜀)+椒(ほそき)神社の祭神は不明ですが、薬草の神でしょう。すべて地神(自然神)で、森羅万象に神をみたてた古代人の心を示しているといわれています。

 十世紀の初頭選定された、「延喜式・神名帳」によると、全国には大492座、小2604座が指定されていますが、但馬国には131座(大18小113)が指定されており、全国的にも数では第3位に当たり、しかも大の位の神社数が多いのです。但馬国を旧郡名の朝來(アサコ)郡、養父(ヤブ)郡、出石(イズシ)郡、氣多(ケタ)郡、城崎(キノサキ)郡、美含(ミグミ)郡、二方(フタカタ)郡、七美(ヒツミ)郡の8つに分けると、出石郡が9社、氣多郡は4社置かれ、次いで養父郡が3社、朝来、城崎が各1社ずつとなっています。大小合わせて21座というのは、例えば淡路国13座を遙かに引き離しているのです。それは但馬の中で古くから開けていたことを示しています。

雷神社[ライ][いかづち] (名神大)
兵庫県豊岡市日高町稲葉73

御祭神は不詳ですがその名の通り、天変地異で最も頻繁に起きる自然現象の雷さんを祀った神社。境内の木々は樹齢は分かりませんが、そびえ立っていて、奧の禁足地は「カンドコロ」そのものの荘厳な印象だ。
 気多郡(日高町)の最も奧深い稲葉区にあり、西の要、蘇武岳を越えると村岡、湯村温泉、そして山陰道(因幡路)です。

山神社[ヤマ](名神大)

兵庫県豊岡市日高町山宮字前田409-3 祭神:句句廼馳命、大山祇神、埴山姫神
御由緒
 欽明天皇二年二月九日の創立と伝えられ、宮の北山なる聖岩に鎮座せしも天平神護元年四月八日今の地に遷座された。承和九年官社に預り、貞観十年神階従五位上に進叙せられ、延喜式の制名神大に列し、源頼朝神領米三十三石、山三町四面を寄進すると伝え、江戸時代藩主仙石氏の崇敬を受けて例祭には代参又は直参せられた。宝永三年本殿を建立し、さらに明治二十七年本殿を建立し、さらに明治二十七年本殿を再建されたのが現在の本殿である。
 明治六年十月村社に列し、同四十一年三柱、八幡、八坂の三神社を合祀し稲荷神社を境内に奉斎した。

広大な敷地で神秘さが漂う。今は太田まで道路ができ、車ですぐそばを通ることができます。神体は大岡山だと思いますが、社殿は少し北西に向いています。

戸神社[ヘ][との](名神大)

兵庫県豊岡市日高町十戸字野18-1 十戸神社とも云う。
祭神:大戸比賣命、奧津彦命
御由緒
 創立年月は不詳だが、往古は但馬国の名神大社十社中の一社に数えられた古社だ。御祭神は亦の名を奥津比売神と申し、竃(かまど)を司る神。品陀和気命は合祀した神で八幡神だ。
 続日本紀の承和九年冬十月に「戸神官社に預る」とみえ、三代実録には、貞観十年神階従五位下から従五位上に進叙し、延喜式神名帳に戸神社名神大と載っている。又、鎌倉時代に神田四十九反三百歩を有したとも伝えられている。
 その後、由緒を称する資料がなく、明治六年村社に列し、同四十二年十戸区内にあった八幡神社と三柱神社を当社に合祀し、大正五年神饌幣帛料供進指定神社となった。御社殿は、宝暦九年に本殿を再建した記録がありますが、現存の本殿内宮は春日造りで文化七年の造営である。大正二年に幣殿と拝殿を新築し、昭和四十一年本殿覆殿が老朽のためこれを新築、同五十年には拝殿、幣殿、屋根銅板葺替を行われました。

戸は「へ」と呼び、世帯を意味するので十戸(じゅうご)という地名は、十戸の家族が早くから住み、そのカンドコロとして神社を建てたものだと考えられる。神鍋から円山川に向かう交通往来の多い場所にあり、国道に面していますが、一歩境内にはいると静寂な別世界のようです。

椒神社[ほそぎ][椒は木偏に蜀 はじかみ](名神大)

兵庫県豊岡市竹野町椒字岩ノ内1738-2(旧美含郡三椒村)
ほそき神社のおまき桜はエドヒガンの一本桜で、エドヒガンとしては県内最大巨木とされている。

標高の高い神鍋から来日山が見いる坂道を北に下り、しばらくすると左カーブに位置する神社がある。
 祭神は不明だが、森羅万象で古代人が怖れるものとして疫病は大きな心配事だと思う。ここは気多郡山椒村といわれていていました。「はじかみ」とは山椒の事?であれば、漢方薬であり、この辺りは山菜が豊富なことから、薬の神、病気の神では?ないかと思える。

海神社[カイ][あまの](名神大)
兵庫県豊岡市小島字海ノ宮965
祭神:大綿津見命

 祭神は、大海神(おおあまのかみ)で、海部直(あまべのあたい)の祖・建田背命(たけだせのみこと)も祀る。周辺には津居山漁港があり、海の無事、大漁を祈願する「ウミ神さん」として親しまれている。海部直とは、かつて大和朝廷に海産物を献上した部(べ)のことをいう。この地が古来より漁業が盛んであったことがわかる。事情は不明である。また近くに「韓国神社」、円山川対岸に「気比神社」がある。気比氏などの物部氏族があった?!
 2009.1.8に何遍もさがして苦労しました。前を通っているのだが素通りしてしまう。ようやくこの神社は参ることができた。地元の人に聞くと「うみ神社」と呼んでいるらしい。境内の南側に不思議な盛土のうおうな岩があった。案内板がないのでなんだろうか。

玄松子 神奈備へようこそ より参考にさせていただきました。

天神社

[テン] 兵庫県豊岡市日高町万場

 御祭神不詳ですが天という自然神らしい社名ですので古社であることが伺えます. どうして神名帳に記載されていないのか不明な社です。宇宙全体あるいは天の恵みの神ならば雨の神でしょうか。

大トチノキ
このトチノキは地上1.7mのこぶの上に、幹周り90cmもあるケヤキが着生し見事に成育している、850cmを超える県下3位の太い巨木です。天神社の森には大きなスギが何本もあり、250cmのアオナラガシワ、250cmのメグスリノキ、53cmのサルナシなどの大きくて珍しいものがあります。


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