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丹国ものがたり

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丹のくに伝説

目次

  1. イザナギとイザナミ

  2. たじま

  3. たんご

  4. たんば

  5. いずも

天日槍(アメノヒボコ)

 アメノヒボコは、遠い新羅(しらぎ)から渡ってきました。日本に着いたアメノヒボコは、筑紫(つくし)・播磨・摂津・近江・敦賀(つるが)などを一人渡り歩き、やがて出石(いずし)にたど辿り着き、その地に腰をおろしました。

 難波(現在の大阪)に入ろうとしましたが、そこにいた神々が、どうしても許してくれません。そこで播磨国にやってきました。

 そのころ、播磨国にいた伊和大神(いわのおおかみ)という神様は、とつぜん異国の人がやってきたものですから、「ここは私の国ですから、よそへ行ってください。」と断りました。

 アメノヒボコは、剣で海の水をかき回して大きな渦を作り、そこへ船を並べて一夜を過ごし、立ち去る気配がありません。

 (これはぐずぐずしていたら国をとられてしまう。はやく土地を抑えてしまおう。)

 大神は大急ぎで川をさかのぼっていきました。

 途中、ある丘で食事中あわてていたのでごはん粒をたくさんこぼしてしまいました。そこで、その丘を粒丘(いいぼしのおか)と呼ぶようになったのが、現在の揖保(いぼ)という地名の始まりです。

 一方のアメノヒボコも大神と同じように川を遡っていきました。

 二人は、宍禾(しそう)郡(現在の宍粟市)あたりで山や谷を取り合ったので、この辺りの谷はずいぶん曲がってしまったそうです。なかなか勝負が付きませんでした。

 「このままではまわりの者が困るだけです。」

 そこで二人は「高い山から三本ずつ黒葛(くろかづら)を投げて、落ちた場所をそれぞれが治める国にしようじゃないか。」と、但馬国と播磨国の境にある藤無山(ふじなしやま)のてっぺんに登りました。

 そこでお互いに三本ずつ黒葛を取りました。それを足に乗せて飛ばしました。

 「おう、わしの黒葛は、ひとつは気多郡(けたぐん)、ひとつは養父郡(やぶぐん)、あとのひとつは宍粟郡に落ちた。」と指さしました。アメノヒボコの黒葛がたくさん但馬に落ちていたので、アメノヒボコは但馬国を、伊和大神は播磨国を治めることにして、二人は別れていきました。

 ある書では、二人とも本当は藤のつるが欲しかったのですが、一本も見つからなかったので、この山が藤無山と呼ばれるようになったと伝えられています。

 出石の地を自身の終点と決めたアメノヒボコは、そこで結婚し子を生み、新羅の技術などを持ち込んで周囲の文化を開いていきました。

 その後、アメノヒボコは但馬国で、伊和大神は播磨国で、それぞれ国造りをしました。アメノヒボコは亡くなると神様として祭られました。それが現在の出石神社の始まりだということです。


『播磨国風土記』より 兵庫県立歴史博物館
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