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丹国ものがたり

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丹のくに伝説

目次

  1. イザナギとイザナミ

  2. たじま

  3. たんご

  4. たんば

  5. いずも

3.大江山の鬼伝説(その三) 

「酒呑童子(しゅてんどうじ)」―源頼光の鬼退治―

 時は平安朝、一条天皇の頃である。西暦1000年前後、京の都は栄えていたが、それはほんの一握りの摂関貴族たちの繁栄であり、世の中は乱れに乱れ民衆は社会不安におののいていた。そんな世の中で、酒呑童子は王権に叛き、京の都から、姫君たちを次々にさらったのである。

 姫君たちを奪い返し、酒呑童子を退治するため大江山へ差し向けられたのが 源頼光(みなもとのらいこう)を頭に藤原保昌(ふじわらのやすまさ)並びに天王の面々坂田公時(さかたのきんとき)、渡辺綱(わたなべのつな)、卜部季武(うらべのすえたけ)、碓井貞光(うすいのさだみつ)ら6名である。 頼光ら一行は山伏姿に身をやつし、道中、翁に化けた住吉・八幡・熊野の神々から「神便鬼毒酒(じんべんきどくしゅ)」を与えられて道案内をしてもらい、途中、川のほとりで血のついた着物を洗う姫君に出会う。一行は、姫君より鬼の住処を詳しく聞き、酒呑童子の屋敷にたどり着く。

 酒呑童子は頼光一行を血の酒と人肉で手厚く歓待するが、頼光たちは例の酒を童子と手下の鬼たちに飲ませて酔い潰し、童子を討ち、手下の鬼共も討ち果たす。捕らわれている姫君たちを救い出し、頼光たち一行は都へ上がるのである。討ち取られた酒呑童子の首は、王権に叛いたものの見せしめとして川原にさらすめ、持ち帰られるが、途中、丹波・山城の国境にある老の坂で急に重くなって持ち上がらなくなり、そこで葬られたのである。

 酒呑童子は、日本の妖怪変化史のうえで最強の妖怪=鬼として、今日までその名をとどろかせている。  平安京の繁栄―それはひとにぎりの摂関貴族たちの繁栄であり、その影に非常に多くの人々の暗黒の生活があった。そのくらしに耐え、生きぬき抵抗した人々の象徴が鬼=酒呑童子であった。

 酒呑童子という人物は史実に登場しないから、この話はフィクションの世界のできごとである。 酒呑童子物語の成立は、南北朝時代(14世紀)ごろまでに、一つの定型化されたものがあったと考えられており、のち、これをもとにして、いろいろな物語がつくられ、絵巻にかかれ、あるいは能の素材となり、歌舞伎や人形浄瑠璃にもとり入れられ、民衆に語り伝えられていった。

 酒呑童子は、フィクションの中の妖怪=鬼ではあるけれども、日本の文化史の中で果たした役割は、きわめて大きいものがある。

 そしてその物語の背景となった、破滅しながら、しぶとくあくどく生きた、底辺の人々の怨念が見えかくれする。  酒呑童子という名が出る最古のものは、重要文化財となっている「大江山酒天童子絵巻」(逸翁美術館蔵)であるが、この内容は現在私たちが考えている酒呑童子のイメージとはかなりちがっている。

 まず「酒天童子」であり、童子は明らかに「鬼王」であり「鬼神」である。 また大江山は「鬼かくしの里」であり、「鬼王の城」がある。 あるいは、「唐人たちが捕らえられている風景」、「鬼たちが田楽おどりを披露する」など興味深い内容がある。 そして頼光との酒宴の席での童子の語りの中に、「比叡山を先祖代々の所領としていたが、伝教大師に追い出され大江山にやってきた」とある。

 また「仁明天皇の嘉祥2年(849)から大江山にすみつき、王威も民力も神仏の加護もうすれる時代の来るのを待っていた」とあるから、神仙思想の影響もうかがえる。

 ところで、童子といえば童形の稚児のことで、神の化身でもある。したがって、酒呑童子は、山の神の化身とも考えられるわけだが、酒呑童子は仏教によって、もとすんでいた山を追われる。

 それは山の神が仏教に制圧されていく過程であり、酒呑童子を迎えてくれる山は、仏教化されていない山―もっと古い時代から鬼のすんだ山―土着の神々が支配する山である大江山しかなかったのである。

 酒呑童子は、中世に入り、能の発達と共に謡曲「大江山」の主人公として、あるいは日本最初の庶民むけ説話集である「御伽草子」の出現により、広く民衆の心の中に入り込んでいった。

 中世的怪物退治物語の代表作としての酒呑童子物語には、源氏を標榜した足利将軍家の意向をうけた「頼光=源氏の功名譚」としての要素、地におちた王権を支えようとする人々の願望としての「王権説話」、あるいは「神仏の加護」など多様な内容をもりこんでいるがもう一つ、この大江山に伝わっていた「大江山の鬼伝説」が大きな要因となっていることを見落としてはならない。  酒呑童子は頼光に欺し殺される。頼光たちは、鬼の仲間だといって近づき、毒酒をのませて自由を奪い、酒呑童子一党を殺したのだ。 このとき酒呑童子は「鬼に横道はない」と頼光を激しくののしった。

 酒呑童子は都の人々にとっては悪者であり、仏教や陰陽道などの信仰にとっても敵であり、妖怪であったが、退治される側の酒呑童子にとってみれば、自分たちが昔からすんでいた土地を奪った武将や陰陽師たち、その中心にいる帝こそが極悪人であった。

 「鬼に横道はない」酒呑童子の最後の叫びは、土着の神や人々の、更には自然そのものが征服されていくことへの哀しい叫び声であったのかもしれない。

 小倉百人一首には「大江山いく野の道の遠ければ、まだふみも見ず天の橋立」(小式部内侍)という歌があります。いく野は行く野と福知山市生野の地名をかけたものだと思われます。ここでの大江山は本項でのものと京都市西京区の大枝山をかけているとの説もあります。


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