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出雲神話
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オオクニヌシ物語   大国主(オオクニヌシ)の国づくり
出雲の国づくり

 出雲の神様、ヤツカミヅオミヅヌノミコトは「この国は幅の狭い若い国だ。 初めに小さくつくりすぎた。 縫い合わせてもう少し大きな国にしよう」と言いました。

 そこで、「朝鮮半島の新羅の岬を見ると土地の余りがある」と、「国よ来い、国よ来い」と言って引いてきてつなぎ合わせました。 その土地が小津(こづ)の切れ目からの支豆支の御埼(きづきのみさき)で、引いてきた綱が薗の長浜、そして綱の杭にしたのが三瓶山です。

 次に、「北方の佐伎の国(さきのくに)を見ると土地の余りがある」と、「国よ来い、国よ来い」と言って引いてきてつなぎ合わせました。 その土地が多久川の切れ目からの狭田の国(さだのくに)です。

 その次に、「北方の良波の国(よなみのくに)を見ると土地の余りがある」と、「国よ来い、国よ来い」と言って引いてきてつなぎ合わせました。その土地が宇波(うなみ)の切れ目からの闇見の国(くらみのくに)です。

 最後に、「北陸の都都(つつ)の岬を見ると土地の余りがある」と、「国よ来い、国よ来い」と言って引いてきてつなぎ合わせました。 その土地が三穂の埼(みほのさき)で、引いてきた綱が弓ヶ浜半島、そして綱の杭にしたのが大山です。

 こうして4度の国引きで大事業を終えたヤツカミヅオミヅヌノミコトは、意宇(おう)の杜に杖を突き、「おゑ」と言いました。そのときからこの地を「意宇(おう)」と呼ぶようになりました。

オオクニヌシノカミは、にぎやかになった出雲で、高天原(たかまがはら)から降りて来たスクナヒコナノミコトとともに、国づくりに励みました。 山に植林したり、堤防をつくったり、橋を架けたりと、人々が住みやすい国にしていったのです。 また、馬や牛も増え、アワもよく実るようになり、出雲は豊かな国へと発展していきました。

『古事記』

 大国主が出雲の美保岬にいたとき、海の彼方から天の羅摩船(あめのかがみのふね)に乗って、鵝(蛾の誤りとされる)の皮を丸剥ぎに剥いで衣服として、やって来る神がいた。大国主がその小さな神に名を尋ねたが答えなかった。従えている者も皆知らなかった。そこにヒキガエルが現れて、「これは久延毘古(クエビコ)ならきっと知っているでしょう」と言った。久延毘古に尋ねると、「その神は神産巣日神の御子の少名毘古那神である」と答えた。久延毘古は山田のかかしであり、歩くことはできないが、天下のことは何でも知っている神である。

 神産巣日神は少名毘古那が自分の子であることを認め、少名毘古那に大国主と一緒になって国づくりをするように言った。大国主と少名毘古那は協力して葦原中国の国づくりを行った。その後、少名毘古那は常世に渡って行った。

 大国主は、「これから私一人でどうやって国を作れば良いのだろうか」と言った。その時、海を照らしてやって来る神がいた。その神は、「我は汝の幸魂奇魂(さきみたまくしみたま)である。丁重に私を祀れば、国作りに協力しよう」と言った。どう祀ればよいかと問うと、大和国の東の山の上に祀るよう答えた。この神は現在御諸山(三輪山)に鎮座している神(大物主)である。


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