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出雲神話
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オオクニヌシ物語 因幡の白うさぎ

出雲大社 大国様と白うさぎ像
 ヤマタノオロチを退治して一躍ヒーローになったスサノオノミコトの孫の孫の孫、つまりスサノオノミコトから数えて6代目にオオクニヌシノカミが誕生しました。

 たくさんの兄弟の末っ子としてオオクニヌシノカミは出雲に生まれ、出雲に育ちましたが、何かにつけてお兄さんたちからいじわるな仕打ちを受けていました。 しかし、そんな兄たちのいじめにも負けず、オオクニヌシノカミは心やさしき神として成長していきました。

 「因幡(いなば)の白ウサギ」で有名な大黒様は、このオオクニヌシノカミのことをいいます。

 ある日のこと、オオクニヌシノカミの兄たちは、美しいことで評判のヤカミヒメにプロポーズしようと、出雲から現在の鳥取県である因幡(いなば)の国に向けて出かけました。 オオクニヌシノカミも兄たちの荷物持ちとして、大きな袋をかついで後ろからついて行きました。

 出雲の国にだいこくさまという神様がいらっしゃいました。その神様はおおぜいの兄弟があり、その中でもいちばん心のやさしい神様でした。

 オオクニヌシノカミが気多の岬(けたのみさき)という海岸を通りかかったときのことです。 全身の皮をむかれて真っ赤になった白ウサギが泣いているではありませんか。

 おなじみの「大きな袋を肩にかけ、大黒様が来かかると、そこに因幡(いなば)の白ウサギ、皮をむかれて赤裸」という童謡の場面です。 そして、その気多の岬(けたのみさき)が現在の鳥取県白兎海岸(はくととかいがん)だといわれています。

 隠岐の島にいた白ウサギは、なんとかして向こう岸に渡りたいと思っていました。 しかし、船もありません。 そこでサメをだまして渡ることを思いついたのです。

 海岸にいたサメに、自分の仲間とサメの仲間とどちらが多いか比べてみようと声をかけ、向こう岸までサメを並ばせました。 そして、サメの数を数えるふりをして背中を渡って行ったのです。あと少しで岸に着くというときになって、白ウサギも油断したのでしょう。 サメをだましたことをしゃべってしまいました。

 さあ、大変!白ウサギは怒ったサメにつかまって、全身の皮をすっかりはがされてしまったのです。

 兄弟たちが因幡の国の気多の岬を通りかかったとき、体の皮を剥かれて泣いている一匹のうさぎを見つけました。 兄弟たちはそのうさぎに意地悪をして、海水を浴びて風にあたるとよいと嘘をつきました。

 そのうさぎはだまされていることも知らずに、言われるまま海に飛び込み、風当たりのよい丘の上で風に吹かれていました。  そうしていると海水が乾いて傷がもっとひどくヒリヒリ痛みだしました。

前よりも苦しくなって泣いているうさぎのところに、後からついてきただいこくさまが通りかかりました。

 それから、私が痛くて泣いていると先ほどここを通られた神様たちが、 私に海に浸かって風で乾かすとよいとおっしゃったのでそうしたら前よ りもっと痛くなったのです。

だいこくさまはそのうさぎを見てどうして泣いているのかわけを聞きました。 そのうさぎは言いました。

 わたしは隠岐の島に住んでいたのですが、一度この国に渡ってみたいと 思って泳がないでわたる方法を考えていました。するとそこにワニ(サメ)がきたので、わたしは彼らを利用しようと考えました。

わたしはワニに自分の仲間とどっちが多いかくらべっこしようと話をも ちかけました。

 ワニたちは私の言うとおりに背中を並べはじめて、私は数を数えるふり をしながら、向こうの岸まで渡っていきました。

 しかし、もう少しというところで私はうまくだませたことが嬉しくなっ て、つい、だましたことをいってしまいワニを怒らせてしまいました。そのしかえしに私はワニに皮を剥かれてしまったのです。

 だいこくさまはそれを聞いてそのうさぎに言いました。 かわいそうに、すぐに真水で体を洗い、それから蒲(かま)の花を摘ん できて、その上に寝転ぶといい。

 そういわれたうさぎは今度は川に浸かり、集めた蒲の花のうえに、静かに寝転びました。 そうするとうさぎのからだから毛が生えはじめ、すっかり元のしろうさぎに戻りました。

そのあと、ずい分遅れてだいこくさまは因幡の国につかれましたが、八上比売(やかみひめ)が求められたのは、だいこくさまでした。

心やさしいオオクニヌシノカミは白ウサギを気の毒がり、川の真水できれいにからだを洗い、ガマの穂にくるまって風の当たらないところで寝ていると、痛みは取れると教えてやりました。

 オオクニヌシノカミに言われた通りにした白ウサギは、やがて元に戻り、親切なオオクニヌシノカミに心から感謝しました。 「大黒様の言う通り、きれいな水に身を洗い、ガマの穂わたにくるまれば、ウサギは元の白ウサギ」という童謡のシーンです。 社団法人島根県観光連盟・島根県観光振興課

気多の崎

 元島根県立女子短大教授の石破洋教授は「気多の崎」は当時、気多郡と呼ばれていた場所の中の地名と考えるべきでその第一候補は、青谷町の長尾鼻ではないだろうか、と提唱されています。白兎海岸は、確かに沖合いの島といい、ワニの背中に見立てられる恋が島といい、気多の前(けたのさき)といい、古事記神話の舞台にぴったりの場所だと思えます。

 「原文では、兎は長尾鼻を意味する『気多ノサキ』に来たと書いてある。白兎海岸ではない」

 「『兎』という漢字は原文に九回出てくるが『白兎』とは書いてない」

 など、一般に流布している神話と原文との根本的な違いを次々と指摘されています。大己貴命が能登半島に出向いてその地を勢力圏の下におき、そこに「気多」と名付けられるということは、因幡の「気多」という場所が、出雲からの単なる中継点ではなかったのではないかと思えてきます。因幡の「気多」は大己貴命にとって比較的長期にわたる重要な軍事的策源だったのではないでしょうか。そこで気多郡の中で、近年注目を浴びており、しかも大己貴命の時代とも重なりうる可能性を持つものとして青谷上寺地遺跡のことが浮かび上がってきます。

 ここはつい最近も、櫓(やぐら)に使われていたような長い掘っ立て柱が出土したり、古代人の脳の一部が出てきたり、戦闘による傷を負った頭蓋骨が出てきたり、など考古学的にもたいへん重要な発掘品が出てきている所です。場所は青谷駅のすぐ近くで、気多の崎ではないかとされる長尾鼻の付け根のすぐ近くです。軍事的な攻防が繰り広げられたことをうかがわせる痕跡を多分に残しています。また、祭祀の拠点でもあったようです。ここでフトマニに用いられたであろう卜骨の出土数が全国的に見て、群を抜いて異常に多いのです。  出土品の中には、サメと思われる魚を描いた木片などもあり、古事記神話との関連を想起させます。

 「気多の崎」という地名ですが、すぐ近くには浜村温泉があります。約450年前から海岸沿いに湧く民謡「貝がら節」のふるさととして知られる温泉です。大己貴命が能登国に向かう間に、「気多の崎」の次ぎに気多神社があるのが当地の但馬国ですが、円山川河口を木崎(キノサキ)といい、黄沼前海(キノサキノウミ)と呼ばれ、古くは大きな入り湖でした。気比神社があり但馬で唯一の完全な形の銅鐸が4つ見つかった地点です。近くに城崎温泉がある点、城崎はいわば気多の崎であるのも、気多久田谷は、全国でも珍しい粉々に破壊された銅鐸片が見つかったことで興味のある方には有名です。

 鳥取の由来になった鳥取部は、因幡国鳥取郷の位置は、久松山麓から現在の市街地あたりに比定できるようです。ちなみに鳥取県史によると、「鳥取部」は、河内・和泉・伊勢・美濃・上野・越前・丹波・丹後・但馬・因幡・出雲・備前・備中・肥後など広く日本中に分布していたそうです。気多神社や大巳貴神の神社とほぼ一致します。
「因幡の白うさぎ」「羽衣天女伝説」等神話から続く伝承や昔話の宝庫です。丹後にも「羽衣天女伝説」等神話の宝庫です。


大国主を祀る神社の代表は出雲大社(島根県出雲市)で、他に大神神社(奈良県桜井市)、気多大社(石川県羽咋市)、気多本宮(同七尾市)、大國魂神社(東京都府中市)のほか、全国の出雲神社で祀られている。


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