歴史。その真実から何かを学び、成長していく。

伝説 先史 縄文 弥生 出雲 銅鐸 日槍 古墳 飛鳥 奈良 平安 鎌倉 室町 戦国 近世 近代 現代 地方分権鉄道写真サイトマップ

出雲神話
丹ものがたりINDEX丹のくに伝説INDEX戻る日向神話

スサノオ物語  素戔鳴尊(すさのおのみこと)
乱暴なスサノオノミコト

 黄泉の国(よみのくに)から戻ったイザナギノミコトは左の目からアマテラスオオミカミを、右の目からツクヨミノミコトを、そして鼻からスサノオノミコトを産みました。 神様だから男でも、どこからでも、子どもを産めるんですね。 スサノオノミコトは海を守る神様なのに泣いてばかりいたので、怒ったイザナギノミコトはスサノオノミコトを海から追い出しました。 そこで人恋しくなったスサノオノミコトは、高天原(たかまがはら)に住む姉のアマテラスオオミカミを訪ねたのですが、ここでもせっかく耕した田を荒らしたり、機織り小屋(はたおりごや)に馬を投げ込んだりして、高天原(たかまがはら)では彼の乱暴ぶりにことごとく手を焼いていました。

天の岩戸

 アマテラスオオミカミも最初はスサノオノミコトを寛容な気持ちで受け入れていたのですが、スサノオノミコトがあまりにも好き勝手なふるまいをするので、怒ってしまいとうとう天の岩戸(あまのいわと)に隠れてしまいました。 高天原(たかまがはら)はすっかり暗くなり、地上にも日が照らなくなってしまいました。 これは今でいう日食の現象だともいわれています。 高天原(たかまがはら)では何とか元の明るさを取り戻すために、アマテラスオオミカミの気を引こうと、岩戸(いわと)の前で飲めや歌えの大宴会を開きました。アマテラスオオミカミは外があまりにもにぎやかで楽しそうなので、岩戸(いわと)の隙間からそっと外をうかがったところ、力のある神様が思いっ切り岩戸(いわと)を開け放しました。 このときに岩戸(いわと)の前で、アメノウヅメノミコトが踊ったのが神楽(かぐら)のはじまりという説もあります。 こうして高天原(たかまがはら)と地上は元の明るさを取り戻したのですが、スサノオノミコトはとうとう高天原(たかまがはら)を追い出されてしまいました。

 その昔、素戔鳴尊(すさのおのみこと)は、出雲の国を経営なされ、子孫も次第に増え、その御一門は非常に盛んになりました。ここに素戔鳴尊の四代の孫で八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)と呼ばれる神様は、国土の経営に就いてご苦労を積まれたのであります。

 はじめ伊邪那伎(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の神様が、御苦心の末にお産みになった日本の国は、いまだ幼く国が小さいばかりか、足りないところもありましたが、その子孫の神々はよく二柱の神様の御志を継がれて、たえず国土の修理を心がけられ、足らぬところを補われ、損じたところをつくろわれて、次第に立派な国となったのであります。

 ところが素戔鳴尊の経営なされた出雲の国はまだ小さい国であるばかりか、帯のようにその幅が狭いので、ある時八束水臣津野命がとくとこれをご覧になって、「どうにもこれではあまりにも狭い、こんなに狭くては思うように大きな事業が出来ない。他の国に余ったところがあれば縫い足すようにしていかなくては」とお考えになりました。

 さっそく海岸に出て一段高い山の上によじ登って立ち、小手をかざしながら「さてどこかに国の余りがありそうなものじゃ」と、はるか彼方に雲か山かと見えるのは新羅のみ崎でありました。

 命(みこと)は、こおどりして喜ばれ、「あれは確かに新羅のみ崎じゃ、あれをこの国に縫い足せば、いくらか広くなって人々もさぞ喜ぶだろう。よしよし、すぐに取りかかろう」と、にわかに人々を駆り集められました。

 そして大きな広い鋤(すき)で、新羅の余りの御崎をザクリザクリと鋤取られ、大縄をこれに打ちかけて、そろりそろりと引き寄せながら、命は「国来い国来い、こちらへ来い」と音頭取りをしながら、だんだんと綱をたぐりよせられました。こうして首尾よく縫い合わされたのが、取りも直さず杵築のみ崎であります。

 こうして新羅のみ崎は杵築のみ崎となりましたが、この時綱をつなぎ止めるために立てた杙(くい)は出雲と石見とのさかいにある佐比賣山(さひめやま)(三瓶山:さんべさん)となり、またたぐり寄せた綱は園の長濱という砂浜となって、今も大社の稲佐の小浜から石見までの東西に延びた海辺となって続いています。

 さて、これで出雲の国もだいぶ大きくなったのですが、それでもまだまだ国を引き寄せなくてはならないようです。そこで命は再び海岸の山の上に登られて北の方をご覧になりました。すると、はるか海の彼方にかなり広い陸地が見えるので、命はたいそうお喜びになり、「オオ、あそこにも国の余りがあるようだ。あの辺りの土地を少し切り取って縫い付けるとしよう」と仰って、大きい鋤でザクリザクリと鋤きとられ、そこに大縄を打ちかけて再び「国来い、国来い、こちらへ来い」と音頭を取りながら、その大縄をそろりそろりとたぐり寄せました。すると、そこが狭田(さた)の国(島根半島中央部)になりました。

 命は再び北の方をご覧になると、「あそこにも国の余りがあるではないか。よし、今度はあの国を引き寄せてやろう」と大縄を打ちかけて、またまた「国よ来い、国よ来い」と大縄をたぐり寄せ始めました。すると、そこが闇見(くらみ)の国になりました。

 こうして出雲の国もほぼ完成に近付きました。そして、命は最後に東の方をご覧になると、高志(こし)の都々(つつ)のみ崎(能登半島辺り)の方に余っている土地を見つけられました。そこでまた同様にして大縄を打ちかけて「国よ来い、国よ来い」とたぐり寄せられました。こうして首尾よく縫い合わされたのが、三穂の崎(美保関)であります。

 そして、このときに打ちかけた大縄は夜見(よみ)の島(弓ケ浜)となり、大縄をつなぎ止めた機は伯耆の国の火神岳(ひのかみだけ、伯耆大山)となったのであります。

 広大な出雲の国をお造りになられた命は、これでやっとお仕事を済まされて、ホッと一息つかれました。しかしながら、さすがに怪力の命も何せ四度にわたる国引きでありましたので、だいぶお疲れのご様子でした。そして、「ヤレヤレ、まず安心した。国引きも思うようにできたし、出雲の国も充分広くなった。これなら大きな事業もできるであろう。何とはなしに心がのびのびして愉快じゃ。今、国引きが終わったぞ」と仰せになり、とある森の木陰に神の御杖を突き立てて「オウ」と声高らかにお喜びになったのでありました。そこで、後にこの地を意宇(おう)と呼ぶこととなりました。現在の島根県松江市南郊で、かつて国府の所在した大庭(おおば)の地がこれで、意宇の杜があります。

 神々のふるさとであります出雲の国は、このように八東水臣津野命の「国引き」という大きなご功績によって、その基盤が築かれたのでありました。この後は、いよいよ大国主大神(だいこくさま)によって、より一層すばらしい国に造られていくのです。


 『古事記』と『日本書紀』を併せて『記紀』といいますが、風土記は記紀神話とは違い、その土地ならではの神話を伝えています。 『出雲国風土記』でも、大和の史官たちの手の入らない古代出雲人が伝承してきた純粋なものとして、出雲地方の言い伝えを正確に残しています。

 たとえば、記紀神話で描かれるスサノオノミコトの「ヤマタノオロチ退治」やオオクニヌシノカミの「国譲り」は、『出雲国風土記』には記載されず、逆に「国引き神話」は、『出雲国風土記』だけに記された神話なのです。  その昔素戔鳴尊(すさのおのみこと)は、出雲の国を経営なされ、子孫も次第に増え、その御一門は非常に盛んになりました。ここに素戔鳴尊の四代の孫で八束水臣津野命(やつかみづおみつぬのみこと)と呼ばれる神様は、国土の経営に就いてご苦労を積まれたのであります。

 はじめ伊邪那伎(いざなぎ)・伊邪那美(いざなみ)の神様が、御苦心の末にお産みになった日本の国は、いまだ幼く国が小さいばかりか、足りないところもありましたが、その子孫の神々はよく二柱の神様の御志を継がれて、たえず国土の修理を心がけられ、足らぬところを補われ、損じたところをつくろわれて、次第に立派な国となったのであります。

 ところが素戔鳴尊の経営なされた出雲の国はまだ小さい国であるばかりか、帯のようにその幅が狭いので、ある時八束水臣津野命がとくとこれをご覧になって、「どうにもこれではあまりにも狭い、こんなに狭くては思うように大きな事業が出来ない。他の国に余ったところがあれば縫い足すようにしていかなくては」とお考えになりました。

 さっそく海岸に出て一段高い山の上によじ登って立ち、小手をかざしながら「さてどこかに国の余りがありそうなものじゃ」と、はるか彼方に雲か山かと見えるのは新羅のみ崎でありました。

 命(みこと)は、こおどりして喜ばれ、「あれは確かに新羅のみ崎じゃ、あれをこの国に縫い足せば、いくらか広くなって人々もさぞ喜ぶだろう。よしよし、すぐに取りかかろう」と、にわかに人々を駆り集められました。

 そして大きな広い鋤(すき)で、新羅の余りの御崎をザクリザクリと鋤取られ、大縄をこれに打ちかけて、そろりそろりと引き寄せながら、命は「国来い国来い、こちらへ来い」と音頭取りをしながら、だんだんと綱をたぐりよせられました。こうして首尾よく縫い合わされたのが、取りも直さず杵築のみ崎であります。

 こうして新羅のみ崎は杵築のみ崎となりましたが、この時綱をつなぎ止めるために立てた杙(くい)は出雲と石見とのさかいにある佐比賣山(さひめやま)(三瓶山:さんべさん)となり、またたぐり寄せた綱は園の長濱という砂浜となって、今も大社の稲佐の小浜から石見までの東西に延びた海辺となって続いています。

 さて、これで出雲の国もだいぶ大きくなったのですが、それでもまだまだ国を引き寄せなくてはならないようです。そこで命は再び海岸の山の上に登られて北の方をご覧になりました。すると、はるか海の彼方にかなり広い陸地が見えるので、命はたいそうお喜びになり、「オオ、あそこにも国の余りがあるようだ。あの辺りの土地を少し切り取って縫い付けるとしよう」と仰って、大きい鋤でザクリザクリと鋤きとられ、そこに大縄を打ちかけて再び「国来い、国来い、こちらへ来い」と音頭を取りながら、その大縄をそろりそろりとたぐり寄せました。すると、そこが狭田(さた)の国(島根半島中央部)になりました。

 命は再び北の方をご覧になると、「あそこにも国の余りがあるではないか。よし、今度はあの国を引き寄せてやろう」と大縄を打ちかけて、またまた「国よ来い、国よ来い」と大縄をたぐり寄せ始めました。すると、そこが闇見(くらみ)の国になりました。

 こうして出雲の国もほぼ完成に近付きました。そして、命は最後に東の方をご覧になると、高志(こし)の都々(つつ)のみ崎(能登半島辺り)の方に余っている土地を見つけられました。そこでまた同様にして大縄を打ちかけて「国よ来い、国よ来い」とたぐり寄せられました。こうして首尾よく縫い合わされたのが、三穂の崎(美保関)であります。

 そして、このときに打ちかけた大縄は夜見(よみ)の島(弓ケ浜)となり、大縄をつなぎ止めた機は伯耆の国の火神岳(ひのかみだけ、伯耆大山)となったのであります。

 広大な出雲の国をお造りになられた命は、これでやっとお仕事を済まされて、ホッと一息つかれました。しかしながら、さすがに怪力の命も何せ四度にわたる国引きでありましたので、だいぶお疲れのご様子でした。そして、「ヤレヤレ、まず安心した。国引きも思うようにできたし、出雲の国も充分広くなった。これなら大きな事業もできるであろう。何とはなしに心がのびのびして愉快じゃ。今、国引きが終わったぞ」と仰せになり、とある森の木陰に神の御杖を突き立てて「オウ」と声高らかにお喜びになったのでありました。そこで、後にこの地を意宇(おう)と呼ぶこととなりました。現在の島根県松江市南郊で、かつて国府の所在した大庭(おおば)の地がこれで、意宇の杜があります。

 神々のふるさとであります出雲の国は、このように八東水臣津野命の「国引き」という大きなご功績によって、その基盤が築かれたのでありました。この後は、いよいよ大国主大神(だいこくさま)によって、より一層すばらしい国に造られていくのです。


伊勢神宮(いせじんぐう) 皇大神宮(こうたいじんぐう)

三重県伊勢市五十鈴川上

式内社
主祭神 天照坐皇大御神

神社本庁の本宗(ほんそう)とされ、正式名称は神宮。ほかの神宮と区別する場合には伊勢の神宮と呼ぶ。神階が無く、また明治時代から戦前までの国家神道における近代社格制度で別格とされたため、格付けはされない。

月讀宮(つきよみのみや)

内宮(皇大神宮)別宮
三重県伊勢市中村町
式内社(大)
主祭神 月讀尊(ツクヨミノミコト)

廣峯神社(ひろみねじんじゃ)

兵庫県姫路市広嶺山52
県社・別表神社 主祭神 素戔嗚尊 五十猛命
全国にある牛頭天王の総本宮 須佐神社(すさじんじゃ)

島根県出雲市佐田町須佐730
式内社 旧社格は国幣小社。出雲國神仏霊場第十八番。

須佐之男命を主祭神とし、妻の稲田比売命、稲田比売命の両親の足摩槌命・手摩槌命を配祀

『出雲国風土記』に、須佐之男命が各地を開拓した後に当地に来て最後の開拓をし、「この国は良い国だから、自分の名前は岩木ではなく土地につけよう」と言って「須佐」と命名し、自らの御魂を鎮めたとの記述がある。

須佐之男命を主祭神とするその他の旧官国幣社および別表神社

  • 八坂神社(京都府京都市東山区)
  • 津島神社(愛知県津島市)
  • 氷川神社(埼玉県さいたま市大宮区)
  • 八重垣神社(島根県松江市)

     『古事記』と『日本書紀』を併せて『記紀』といいますが、風土記は記紀神話とは違い、その土地ならではの神話を伝えています。 『出雲国風土記』でも、大和の史官たちの手の入らない古代出雲人が伝承してきた純粋なものとして、出雲地方の言い伝えを正確に残しています。

     たとえば、記紀神話で描かれるスサノオノミコトの「ヤマタノオロチ退治」やオオクニヌシノカミの「国譲り」は、『出雲国風土記』には記載されず、逆に「国引き神話」は、『出雲国風土記』だけに記された神話なのです。 ▲ページTOPへ


  • 伝説赤丹(あかに)#ce5242 丹ものがたりINDEX丹のくに伝説INDEX戻る次へ
    Copyright(C)2002.4.29-2009 ketajin21 All Rights Reserved. E-mail
    inserted by FC2 system